「亡くなる前にオールスターの晴れ姿を見せたい」 出場を果たしても母は…福浦和也が取った「らしい」行動
今年の母の日は5月8日。カーネーションを贈って「ありがとう」を伝えたいけど…若くして母を亡くした「オレたちの福浦」が取った恩返しとは。(2009年4月15日掲載。所属、年齢などは当時)
ウイラブベースボール
鳥谷越直子
「福浦さーん。ヒット打ってー!」。
この日のロッテ対楽天戦。千葉マリンのスタンドに、千葉市内の児童養護施設に入所する小学生の声援が飛んだ。4人の施設仲間と観戦に訪れた。
「こうしてスタンドに来て目の前でプレーする選手を応援するのが僕たちの楽しみなんです」と屈託なく笑った。
招待したのはロッテ福浦和也内野手(33)。恵まれない境遇の子どもたちに何か自分がしてあげられることはないかと発案。人知れず続けてきたこの取り組みも、もう9年になる。
きっかけは00年、母千江子さん(享年46)の死だった。当時はまだ1軍に定着できず、2軍と行ったり来たりしていた。そんな時、突然の母のがん宣告。
「亡くなる前にオールスターの晴れ姿を見せたい」。その年、奮起して前半戦で打率3割3分8厘。見事、目標を果たしたが、残念ながら、母はその姿を見ることなく亡くなった。
親孝行できなかった思いが、ボランティアや社会貢献活動に福浦を駆り立てた。「自然にそういう気持ちになった」。
01年、支援者の協力を得てプロジェクトチームを結成。少年野球チームの指導や養護施設訪問などをスタートさせた。
「子どもたちの喜ぶ顔を見ると、自分も元気をもらえる」と福浦。その年(01年)は首位打者を獲得し、以来6年連続で打率3割超え。プロ野球史上11人しか達成していない大記録を打ち立てた。
亡き母に背中を押されるように始めた活動が、人間福浦の器をひと回り広げたのは周囲も認めるところ。本業でも1500安打まであと10本に迫り、天国の母はきっと喜んでいることだろう。