【沖縄返還50年】昭和36年5月20日・プロ野球が初上陸 上を向いて歩こう、所得倍増計画…日本の元気に一役

各球団が春季キャンプを行うなど、野球と沖縄は長く深い関係にあります。沖縄が本土に復帰してから5月15日で50年。プロ野球の試合が初めて行われたのは、復帰前の1961年5月20日でした。(2017年6月27日掲載、所属などは当時)

ウイラブベースボール

古川真弥

今日から西武―ロッテ戦が行われる、沖縄セルラー那覇スタジアムの西武ベンチ裏。1枚の案内紙が貼られていた。試合当日に、前身である西鉄の球団旗がスコアボードの上に、ユニホームがベンチ内に飾られることが書かれていた。わけは…56年前の1961年(昭36)にさかのぼる。

奥武山野球場には2試合で計3万人が詰めかけた=1961年5月20日

奥武山野球場には2試合で計3万人が詰めかけた=1961年5月20日

沖縄に初めてプロ野球がやってきた。5月20、21日の西鉄―東映(現日本ハム)戦だ。市制40周年記念事業の一環として、那覇市が企画。米国下の当時、日本とつながりを持ちたい狙いもあったという。

翌62年には、6月13、14日にロッテの前身である大毎と阪急戦が行われた。この2カードが本土復帰(72年)前唯一の公式戦だった。親会社は変わったが、そんな歴史を持つ両球団が半世紀以上たち、沖縄で相まみえる。

当時の雰囲気を知りたくて沖縄県立図書館に足を運んだ。沖縄タイムスの過去記事から熱気が伝わってきた。

61年、西鉄、東映両軍は試合前日にチャーター機で一緒に沖縄入り。空港には「歓迎」の横断幕が下がり、夕方に市内をパレード。パーティーも開かれた。2試合で計3万人を集め、1勝1敗。2戦目は西鉄の稲尾が完投で9勝目を挙げた。同年、稲尾は今なおプロ野球記録の42勝。うち1勝が沖縄で挙げたものだった。

■兄が沖縄で戦死 杉下茂の述懐 

62年の大毎杉下茂投手コーチ(当時36)の記事が目に留まった。「兄の冥福祈る杉下氏」の見出し。45年3月、特攻隊だった兄安佑さんが沖縄へ出撃し戦死されていた。

「好きな野球ができるようになったのも兄貴のおかげだと思っている。こんど沖縄に来られてよかった。冥福を祈ってあげます」との談話があった。

かつて、沖縄でのプロ野球開催にはさまざまな困難があり、人々は万感の思いで迎えた。平和が訪れた今、沖縄出身のロッテ大嶺翔は「パスポートがないと甲子園に行けない時代があった。今は全国で野球ができる」と言った。

50年後、今回の西武―ロッテ戦は、人々にどう記憶されているのだろう。

始球式の打者を務めた具志堅用高(左)。なぜか三塁へ激走し、おかわり君と握手=2017年6月28日

始球式の打者を務めた具志堅用高(左)。なぜか三塁へ激走し、おかわり君と握手=2017年6月28日

◆17年の西武-ロッテ2連戦 初戦はロッテが3回途中まで3―0とリードしたが、突然の豪雨で降雨コールドに。2戦目はロッテが延長11回4|3で勝利した。11回に三木が決勝の左前適時打を放ち、6番手で登板した内が勝ち投手。西武は沖縄出身の多和田が先発したが6回途中3失点で降板した。