さよなら「聖の青春」の味 村山聖九段が愛した「更科食堂」50年の歴史に幕

【将棋コラム・ 観る将のつぶやき】競馬記者歴四半世紀、負けず劣らず将棋愛。二つの共通点は“読み”なのか!? アマ初段の免状を持つ記者が、つれづれにつぶやきます。

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岡山俊明

大阪の関西将棋会館にほど近い食堂「更科」が、50年掲げたのれんを下ろした。1998年に29歳で亡くなった村山聖(さとし)九段が中学生で奨励会に入る頃、内弟子として身の回りや食事の面倒を見ていた森信雄七段(当時四段)とよく通った店で、ノンフィクション小説「聖の青春」(大崎善生著)に頻繁に出てきて有名になった。小説では“子供のころから病院食を食べてきた村山にとって、「更科食堂」の定食は何よりのご馳走だったのである”と紹介されている。

29歳の若さで亡くなった村山聖九段【提供:日本将棋連盟】

29歳の若さで亡くなった村山聖九段【提供:日本将棋連盟】

JR環状線福島駅を降り

JR環状線福島駅を降りて目の前の、ガード下にある食堂街。なにわ筋線の開通工事に伴う再開発が始まるので、他の店は一足早く立ち退いていた。

店主夫婦と娘で営む。接客する娘さんが、客のおじいちゃんに明るく話し掛ける。

「今日も指しに行くん?」

「当たり前やがな。ここに来た意味がないわ」

「それもそやなあ。ははは。気張ってや」

その常連は食事の後、将棋会館の道場に行くらしい。壁一面に貼られた新聞の切り抜き、映画「聖の青春」のポスター、出演俳優のサイン色紙。店には将棋の匂いが充満していた。

羽生世代、存命なら52歳

「更科」最後の日に駆けつけた中田功八段(撮影の時だけマスクを外していただきました)

「更科」最後の日に駆けつけた中田功八段(撮影の時だけマスクを外していただきました)

最後の営業となった2022年2月22日の夕方。店内をのぞくと、7つの4人掛けテーブルが閉店を惜しむ人々でぎっしり埋まっていた。ある常連客は、これほどの盛況は見たことがないという。泉下の村山九段が呼び寄せたのだろうか。

師匠の森七段や棋士仲間も訪れていた。「彼は酒豪でしたね」と中田功八段。「よう飲むんで、僕はついていけんかったなあ」と師匠。5歳でネフローゼという病に冒されてから、少し無理をすると高熱に苦しんだ村山さんにとって、酒は一時の逃げ場だったのかもしれない。がんに倒れたのは、A級再昇級を果たし、生涯の目標としていた名人位が見えた直後のことだった。A級在位のまま永眠。存命ならば52歳。日本将棋連盟会長の佐藤康光九段は同い年、羽生善治九段や森内俊之九段の1歳年長になる。みな名人になった。羽生世代と言われた強豪たちの中に、村山さんもいた。

電車がガードを通過する時の振動。踏切の警報音。棚に置かれた年代物のラジオ。そして定食の味。若き日の村山さんが身を置いた空間は、ずっと変わっていなかった。箸を動かしていると、隣に村山さんがいる気がしたものだ。もう伝説の怪童に会える店がないと思うと、また小説を読みたくなった。

「更科」最後の日に店を訪れた森信雄七段(撮影の時だけマスクを外していただきました)

「更科」最後の日に店を訪れた森信雄七段(撮影の時だけマスクを外していただきました)

★森信雄七段(70)の話 村山君が棋士を目指して大阪へ来た40年ぐらい前は、今と違って福島の辺りは店も少なかった。最初は食べさせてやろうと自分で作ったけれど、これがまずくてね。困ったなと…。そんな時に更科があって、ここなら安心して食べさせられるなと思いましたね。だし巻き玉子とか、家庭の味。お互いあまりしゃべらず淡々と食べて、家にいるような感じでした。初めの頃は焼き魚が好きでしたが、何でも食べたと思います。

村山君が入院した時は当然病院食なのですが、「食べてみます?」と言われて口にしたカレーは、味がなくてね。色がついているだけなんです。東京に出て行ってからも大淀の前田アパートには部屋を残していたので、更科にも家庭の味を求めて行っていましたよ。

アパートを引き払った時は、いい予感がしませんでした。亡くなる前のことでした。村山君にとって将棋は人生そのもの。将棋で生きて、本望だったと思います。本人は高く高く伸びていきたかった。将棋は最初から僕より強かったので、勝った負けたは気にしていなかった。むしろ、負けて負けて普通に戻るのもいいのではないかなと思っていました。

更科は気を使わせないのがいい。小説の影響で取材が増えても、全然変わらなかった。信用のある人気とでもいいましょうか。素朴な応対で、みんな気さくでしたね。

最後の日は、お客さんたちも力んでおらず、「まだまだ元気でね」と声を掛けていましたね。村山君が生まれたのは店ができた頃。僕も棋士として店の歴史と一緒に歩んできた。いつも点っていたちょうちんの灯が消えて、さみしくなりますね。

「更科」のカツとじ定食。刺し身の小鉢がうれしい

「更科」のカツとじ定食。刺し身の小鉢がうれしい

◆村山聖(むらやま・さとし) 1969年(昭44)6月15日、広島県安芸郡府中町生まれ。森信雄七段門下。83年に5級で奨励会入会。在籍2年11カ月の早さで86年四段昇段。「怪童丸」の異名を取り、「終盤は村山に聞け」といわれた。タイトル戦は王将戦挑戦1回(92年谷川浩司王将に0|4)、棋戦優勝2回。98年8月8日、A級3期目在籍のまま死去。97年に手術したぼうこうがんが、肝臓に転移していた。九段追贈。

食堂街で更科は唯一最後まで営業した

食堂街で更科は唯一最後まで営業した

◆岡山俊明(おかやま・としあき) 1965年、東京都生まれ。89年入社。ただのライトな将棋ファンで、観る将としてもまだまだ級位者。競馬記者歴25年以上。競馬デスク時代に何度か棋士の方々に紙面で予想をお願いした。日本将棋連盟アマ初段の免状はあるが、指す将としては実戦不足が甚だしく弱い。