囲碁・藤沢一就八段に学ぶ育成術 現代社会に求められる理想の指導者像を見た

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藤沢一就八段は15年間で13人ものプロ棋士を育てました。「育てたい一心でひたすら努力を積み重ねた」。指導法と信念に迫りました。

ストーリーズ

赤塚辰浩

囲碁の藤沢一就八段(57)は2007年(平19)9月に弟子の寺山怜六段(31)を初めてプロに送り込んで以来、今年4月デビューの河原裕初段(16)まで13人ものプロ棋士を育てた。中には同月、女流棋士として初めて国際棋戦を制した上野愛咲美女流棋聖(20)や、関航太郎天元(20)といった現役タイトルホルダーもいる。長所を見抜いて伸ばし、的確なタイミングでアドバイスを送る。そんな育成方針が巣立った弟子の合計段位は49段になる。父は、タイトルを23期獲得した故藤沢秀行名誉棋聖。名棋士の息子は、名伯楽だ。

新宿の「こども囲碁教室」にある一門の木札

新宿の「こども囲碁教室」にある一門の木札

まさに、囲碁界のビッグボスだ。指導の手法は、「長所を伸ばすこと」。藤沢は言う。「囲碁を打たせてみれば、その子の長所は分かりますから。状態や性格なども把握します。本質的に何が大事かを見抜いて、指導しています」。

20年ほど前、日本の棋士が国際棋戦で韓国勢、中国勢に歯が立たなくなっているのを見た。「世界に通用する将来の棋士を育てよう」。2000年(平12)4月、東京・新宿にある「こども囲碁教室」を開業した。

知らないうちに、父「秀行先生」が「好きなところへ打て。それで勝てる力をつける」と話していた指導法を引き継いでいた。子どもたちには自由に囲碁を打たせていた。「短所を補うのは、最重要点ではありません。とにかく、実力を伸ばすことです」。

教室の中から「これは」と思う子供に声をかけ、2008年(平20)には「6歳で棋士を目指すグループ」を作った。初心者だった関天元、上野女流棋聖らが選ばれた。有段者ではなく級位者にすぎなかった関は、「戦いのセンスがいい。ふだんは落ち着きがないけど、集中できればものすごい力を発揮する子」と見抜いた。

それぞれのキャラも理解している。上野は棋譜並べが嫌い。詰め碁を課しても、やってこなかった。「うるさく言いすぎると効果はなくなりますから」。集中力が高くて上達は早かったので、自主性に任せて伸ばした。

関航太郎天元の就位式に集合した藤沢一就八段一門

関航太郎天元の就位式に集合した藤沢一就八段一門

3年前、テレビ棋戦「竜星戦」で勝ち上がった時には、生活様式に変化をつけさせた。「竜星戦は午後8時開始。上野はふだん午前10時開始の対局に慣らして朝型の生活をしている。弟子の本木(克弥八段)に頼んで、午後8時からの練習対局をさせていました」。一門の結束を含めた準備や対策が功を奏し、この棋戦の準優勝へとつながった。

今年4月からプロになった河原は、昨年の採用試験で5連勝した後に5連敗した。そのタイミングで、「お寺で坐禅を組んでこい」と送り出した。メンタル面を克服してこの後、5連勝。プロへの切符を得た。

「アンテナを伸ばし、気を配る。情報をいろいろと得て、使うタイミングを見計らって、言葉で伝える。盤に向かっている時より、気が緩んでいる時に話して刺激を与える方がいい」。

指導者として、企業の経営者やノーベル賞受賞者、プロ野球の名将などの言動を観察したり、著書にも目を通す。これが指導の引き出しの多さにもなるという。「育てたいという一心でひたすら努力を積み重ねたら、これだけプロ棋士が増えた。師匠というより、私はコーチ兼マネジャー兼トレーナーですよ」。

人工知能(AI)の発達で囲碁の打ち方も変化している。多くの棋士が取り入れているように、藤沢は新たにAIでの研究も行っている。「時代が変わり、囲碁の触れる機会も増え、子供の囲碁人口は桁違いに増えている。どうやったら集中できるとか、やる気を出せるとかは、永遠の課題ですよ」。

多くの人が新たな道へと歩み出す季節。部下を新たに持つ人もいるだろう。時代にそぐわない過去の経験則や考えを押しつけたりせず、型にもはめない。藤沢は、現代社会に求められる理想の指導者像と言えよう。

◆藤沢一就(ふじさわ・かずなり)

1964年(昭39)8月12日生まれ。東京都出身。81年、初段でプロデビュー。父は故藤沢秀行名誉棋聖。藤沢里菜女流本因坊・女流名人・女流立葵杯・扇興杯(23)は実娘。

木谷実九段が小川誠子七段に送った「忘れ得ぬ言葉」

囲碁界きっての名伯楽と言えば、故木谷(きたに)実九段だろう。神奈川県平塚市の自宅を「木谷道場」として開放し、全国から集めた優秀な若者を内弟子として育てた。「塾頭格」だった大竹英雄名誉碁聖(引退=80)、娘婿の小林光一名誉棋聖(69)、趙治勲名誉名人(65)、石田芳夫九段(73)、武宮正樹九段(71)、故加藤正夫名誉王座、故小川誠子七段ら、70年代から囲碁界でタイトル保持者を多く輩出した。

小川七段はプロになる前、採用試験の対局で敗れた。一門の兄弟子たちから「なぜ、もっと踏み込まないの」と責められたという。

当時17歳の少女の内気な性格を考慮して自分の部屋に呼ぶと、「自分が怖い時は、相手も怖いんだよ。勇気を出しなさい」と、短くアドバイスした。ふだんは寡黙で、大所帯で目が届かないかと思っていたが、「目的を持った目をしている」と師匠は評価していた。弟子のことを見ていた。

翌年プロになった小川は「忘れ得ぬ師の言葉」になったと生前、述懐していた。背中を押してくれる師匠の存在は大きい。

藤沢秀行名誉棋聖(日本棋院提供)

藤沢秀行名誉棋聖(日本棋院提供)

父「しゅうこう先生」は中国にも足を運んで指導した

藤沢の父、「しゅうこう先生」こと故藤沢秀行名誉棋聖は「秀行塾」を主宰し、来る者を拒まずに受け入れていた。40年ほど前からは年に2回、合宿も開催。弟子に名人経験者の高尾紳路九段(45)、孫娘の藤沢里菜女流本因坊(23)らがいるが、一門だけでなく、若かりし頃の依田紀基九段(56)や結城聡九段(50)、京大医学部卒でアマ世界一の後にプロ入りした坂井秀至(ひでゆき)八段(49)らも学んだ。80年代からは中国にも足を運んで現地の棋士にも指導し、レベル向上に貢献したと言われる。

「後進の育成という点で、私は父の血を引いているのかもしれません」(藤沢八段)。

「こども囲碁教室」の本棚には指導のヒントとなる書籍が並べられている

「こども囲碁教室」の本棚には指導のヒントとなる書籍が並べられている

「ティーチング」ではなく「コーチング」

藤沢の手法は、「コーチング」にもあてはまる。指示・命令型の「ティーチング」とは違う。

日本コーチ連盟ホームページから抜粋したデータによると、「コーチング」は「答えをつくり出す」サポートを行うという。師弟で「タイトルを取る」といった、「自分の中にある答えを納得感」として位置付け、目標設定する。そのうえで、弟子が状況に応じて考えて行動し、本来持っている力や可能性を最大限に発揮できるよう、師匠がサポートするための「コミュニケーション技術」が必要となる。

指導者として藤沢は、それを持ち合わせている。