山下洋輔の早稲田乱入伝説ライブが53年の時を経て復活…企画した田原総一朗氏も脱帽

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番記者裏話

村上幸将

3人合わせて232歳とは思えない、全てを駆逐するような圧倒的なパワーを持った、爆裂サウンドに、かつての“仕掛け人”の田原総一朗氏(88)も脱帽した。

作家の村上春樹氏(73)が12日、都内の早大大隈記念講堂で「村上春樹presents 山下洋輔トリオ 再乱入ライブ」を開催した。同ライブは、学園紛争の最中の1969年(昭44)7月、ジャズ・ピアニストの山下洋輔(80)がバリケードで封鎖された早大内で、大隈記念講堂から学生とともに無断でピアノを持ち出し、昨年10月に開館した早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)にリノベーションされた4号館で敢行した、伝説のジャズライブを約半世紀の時を越えて復活させた。

この日、山下とともに舞台に立ったサックス奏者・中村誠一(75)ジャズ・ドラマー森山威男(77)は、山下洋輔トリオの初代メンバーで、披露した1曲目の「テーマ」(山下洋輔)、2曲目の「木喰」(中村誠一)は、53年前にライブで弾いたのと同じ曲だ。時に肘でたたきつけるように鍵盤を弾く、山下の演奏に象徴されるように、コード進行や既存の曲構成にとらわれない、突き抜けるような演奏の連続に、客席も熱気を帯び、頭上で手をたたく人が相次いだ。

69年に、このライブを企画し、収録した映像をドキュメンタリー番組として放送したのが、当時、東京12チャンネル(現テレビ東京)のディレクターだった、田原氏だった。客席で演奏を聴いていた同氏は「いやぁ~、すごいね。50年前と全く変わらない」と舌を巻いた。そして、企画した経緯を語り出した。

田原氏 69年当時から、山下さんは超売れっ子のピアニストだった。それで、お会いして「山下さんのドキュメンタリーを撮りたい。どういう状態でピアノを弾くのが望ましいのか?」と聞いたら「ピアノを弾きながら死ぬのが良い」と言うので、じゃあ、そういう状況を作ろうと。

田原氏は当時、学生運動が展開されていた早大で、中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)にコンタクトを取り、大隈記念講堂に保存されているピアノを盗み出し、中核派と対抗する民青(日本民主青年同盟)が占拠した4号館に運び込み、山下に演奏してもらう、という計画を立てた。

田原氏 全学ストライキ、完全バリケード封鎖の中、大隈記念講堂からピアノを盗み出し、超過激な民青が占拠した4号館に、新宿で集会をしている間にピアノを運び込む。盗み出すなんて完全に大学からは懲罰ものです。民青が気付いて戻ってきたら、中核派もプライドがあるから当然、乱闘。何よりも、そんなことをされた大学側も黙っていないから警察に注意する。

ところが、田原氏のもくろみは大きく裏切られた。

田原氏 演奏が始まったら民青、中核派も、みんな静かに聴いている。大学側まで、教授が警察隊に通報しないで聴いている。もし、内ゲバが起きて山下さんが殺されたりしたら、当然、警察に捕まる。でも…当時は、そういう番組ばかり作っていたが、最後まで、みんな聴いていた。山下さんは「今までの演奏で一番、力が抜けて一番、さわやかだと思う」と言った。そのライブを再現するというから、何としてでも聴かないと、と思った。素晴らしい迫力でした。山下さん、おめでとう。

前列左から中村誠一、村上春樹氏、山下洋輔、森山威男、後列左から都築響一氏、坂本美雨、小川哲氏(2020年7月撮影)

前列左から中村誠一、村上春樹氏、山下洋輔、森山威男、後列左から都築響一氏、坂本美雨、小川哲氏(2020年7月撮影)

山下は当時、演奏に「命懸け」で臨んだという。それから53年たち、80歳になった現代に同じパフォーマンスを再現できたのは、なぜなのか。村上氏が「素晴らしい演奏ですが、53年ぶりに再会して一発で決まるんですね? 全くパワーが落ちてない」と問いかけると、山下はこう答えた。

山下 全く同じ…そういう音楽をやっているんです。顔を見合わせて、僕がこれをやるといったら、よし、エイッと…それだけ。それが69年のライブの、リハーサルの時に出来たんです。それまでは普通のジャズのカルテットだったのが当時、その日になってベースの人が、就職が決まったか何かで来なくてドラム、サックス、ピアノのトリオになった。その前に僕は1年半、病気をしていて、再起をしたけれども、病気前にやっていた正統派のジャズだと、どうしても今やりたい音が出てこない。それで、ジャズの決まりをやめて、思い切りメチャクチャをやろうと2人(中村と森山)に言ったら「これはいいや」と。そこから、ずっと、このスタイルでやっています。

68年に早大に入学し、文学部で学んだ村上氏は、当時、学生運動で大学が封鎖され「ほとんど授業がなく、最初の2年は、ほとんど学校に行かなかった」と振り返った。その上で、69年のライブは「開催するということは知っていましたけど、用事があったのか残念ながら行けなかった」と明かした。それから53年がたち、村上春樹ライブラリーと同じ4号館でライブを行った山下に「せっかくだったら、もう1回、乱入してもらおうじゃないか」とオファー。「面白そうだ」と承諾され、今回の再乱入ライブが実現した。

ライブは、村上氏が18年8月にラジオDJに初挑戦した「村上 RADIO」を放送するTOKYO FMと村上春樹ライブラリーが共催した。専業作家になる前の1974年(昭49)に東京・国分寺でジャズ喫茶「ピーターキャット」を開店した、音楽人としての村上氏の顔が垣間見える番組を39回、放送してきた「村上 RADIO」だが、日本のジャズ史の1ページに残るライブを開催したことは、また1つ、大きな業績ではないだろうか。