【新日50周年の証言】永田裕志「屋台骨支えた誇り」犠牲になり駒として30年…今思うこと

新日本プロレスは3月6日に旗揚げ50周年を迎える。かつて、30周年の顔としてIWGPヘビー級王座10回の連続防衛を果たし、「ミスターIWGP」と呼ばれた団体最年長選手、永田裕志(53)に、今の思いを聞いた。

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勝部晃多


<新日本プロレス旗揚げ50周年:特別インタビュー>

花あるオカダ…俺に一番欠けているもの(笑)

―団体最年長選手として迎える50周年は

永田 30周年、40周年と歴史を重ね、いろんな部分でよくなりましたね。自分たちが信じてきた戦いというものを堂々と提供することで、興味を持って盛り上げてくれるお客さんが増えたなと感じます。今はコロナ禍でなかなか会場に来てもらうことはできませんが、50周年を迎えるまでに新日本プロレスのコンテンツが世界的なレベルになって、それを堂々と自信を持って提供できるようになった。20年前に格闘技にすり寄った時代もありましたが、今は堂々とプロレスそのものを提供できている。それがこれだけの勢いにつながったのではないかと思います。

猪木祭2003 総合格闘技ルールでヒョードル(左)と激しく打ち合う

猪木祭2003 総合格闘技ルールでヒョードル(左)と激しく打ち合う

―20年前。IWGPヘビー級王座10回の連続防衛を果たすなど、新日本プロレス30周年を背負ったのは永田選手だった

永田 ある意味30周年が、自分にとっても新日本プロレスにとっても転換期でした。もちろん当時はお祝いムードもあったのですが、ほかのプロレス団体だけでなく格闘技団体などが徐々に優勢になり、世論が新日本プロレスにある意味で厳しい逆風として吹いていた時期でした。

―具体的には

永田 「プロレス最強論」で新日本プロレスが売り出してしまった手前、逆にそれが格闘技界を勢いづかせることになったんです。プロレスが格闘技ナンバーワンとうたっている以上は、どうしても向こうの土俵に上がらないといけない。時間もない。付け焼刃の状態。無謀な挑戦です。格闘技はそれを食うことで発展しましたが、その反面で、プロレス業界自体は落ちていった。でも、いつかは「プロレスというのはこういうものだ」と世間がわからないと、プロレス界のさらなる発展はないなと思っていた。あの時、そういう立場に自分が立つのは嫌だったけど、誰かが犠牲にならなければいけなかったと思います。

08年、勝利し敬礼ポーズを見せる

08年、勝利し敬礼ポーズを見せる

そんな中で、正面を切って、思いっきり逆風を体に浴びながらやっていたのが僕でした。見ている人からしたら「永田ごときが」という思いもあったかもしれません。諸先輩方から見たら、僕なんて至らなかったことでしょう。でも、やっぱりIWGPのベルトを巻いて会社を背負うという自覚があるので、背伸びをして、実力以上に、知名度やバリュー以上に、自分をより大きく見せようと努力しました。いかにして新日本プロレスに世間の目を向けさせるのか、考え悩みましたね。

―それがプロレス復権の礎になった

永田 今は、他団体からも選手が集まってきますよね。それは新日本プロレスが魅力のある団体ということ。あの状況の中で踏ん張ることができたという自負があるから、今、そういう質問を受けても、堂々と「支えてきました」ということができます。

―立ち向かうことができたのは

永田 使命感だけでしたね。「新日本プロレスの屋台骨は俺が支えるんだ」という使命感。団体が好きというのもそうですし、自分が信じ、育ってきたホームですから。それは否定できないことだし、誇りを持っています。

03年、止血タオルを巻いてガッツポーズ

03年、止血タオルを巻いてガッツポーズ

―他団体に移籍しようと思ったことは

永田 隣の芝は青く見えるときもある。でも、ここが一番だと思わされる出来事がありました。他団体のイベントに出た時に、ギャラを支払ってもらえないことがあった。諦めていたのですが、当時副社長だった菅林(直樹)会長が立て替えてくれたんです。本当に経営も大変だった状況で、菅林会長にそういうことをやっていただいた。新日本プロレス、菅林会長に恩義を感じました。面倒を見てくれたというのが大きかったので、僕が離れてはいけないと思いました。裏切れないなと。

―現在、新日本プロレスをけん引する棚橋、オカダの活躍を見て

永田 素晴らしいとしか言いようがありません。これからは、彼らがやりたいことをやればいいと思っています。使命感というか、新日本プロレスの歴史を見て育ってきた選手ですから、間違いはないと思いますよ。新日本プロレス50周年記念のポスターに、僕の顔はない。結局自分がやってきたことは土台作りという地味な仕事だったんだなって。土台作りの1つの駒であったんだなと思っています。

03年、中西学(右)にナガタロックⅢをかける

03年、中西学(右)にナガタロックⅢをかける

改めてオカダ君には50周年を引っ張ってほしいですね。このタイミングで、節目の年にベルトを取ったということは、そういう運命を持っているということじゃないでしょうか。

―花もあると

永田 そうですね。僕に一番欠けているのはそこですよ。よく言われましたよ。いろんな人に第3世代は顔がダメだと。蝶野さんにも言われているじゃないですか(笑い)。

―改めて50周年をどんな年にしたい

永田 50周年もそうだけど、自分の30周年もしっかりね。残り少ないプロレス人生になってきていますから。技にしろ、何にしろ、出し惜しみせずに出していきたいと思います。全ての永田っていうものを、完全燃焼できるようにやっていきますよ。

02年、安田忠夫(右)にナガタロックを決める

02年、安田忠夫(右)にナガタロックを決める

◆永田裕志 1968年(昭43)4月24日生まれ。千葉県東金市出身。92年3月に新日本プロレスに入門し、同年9月にデビュー。02年4月、第31代IWGPヘビー級王座に輝くと、当時歴代最多連続防衛記録となる10回を達成(現在はオカダの12回)。03年11月には、棚橋とのタッグでプロレスリング・ノアの第7代GHCタッグ王者となるなど、他団体でも活躍。団体最年長選手となった現在も、果敢にベルトに挑戦している。183センチ、108キロ。血液型AB。

【新日本50周年企画第1弾/オカダ・カズチカの証言】はこちら