伝説の7月24日 浜田剛史189秒の衝撃と座布団の嵐…剛腕の前では今も背筋が伸びる

今も語り継がれるボクシング浜田剛史の1回KO勝ち世界奪取。86年7月24日、両国国技館で起きた189秒の衝撃と座布団の乱舞は、今も記者の目に焼き付いています。(2020年6月2日紙面より。年齢、所属など当時)

バトル

河合香

<復刻:マイメモリーズ>

86年7月、WBC世界スーパーライト級タイトルマッチ 浜田剛史対レネ・アルレドンド 浜田剛史の1回KO勝利に興奮した観客から、座布団が乱れ飛んだ

86年7月、WBC世界スーパーライト級タイトルマッチ 浜田剛史対レネ・アルレドンド 浜田剛史の1回KO勝利に興奮した観客から、座布団が乱れ飛んだ

リーゼントに太いまゆ

何十枚もの座布団が舞った。興奮もつかの間、リングサイドにいた記者も両手で頭を覆った。約1万人が総立ちとなった東京・両国国技館。目の前にあるのは丸い土俵ではなく、四角いリング。前年に開館したが、初めてのボクシング世界戦開催で起きた熱狂の渦だった。

86年7月24日。浜田剛史がWBC世界スーパーライト級王座に待望の世界初挑戦で、悲願を成就させた。それも1回KO奪取で、日本人では海老原博幸以来23年ぶり2度目のこと。今や12人の世界王者を生んだ名門帝拳ジムにとって、大場政夫以来16年ぶり2人目の王者でもあった。

WBC世界ジュニアウエルター級タイトルマッチ レネ・アルレドンド対浜田剛史 アルレドンド(右)を果敢に攻めダウンを奪う浜田

WBC世界ジュニアウエルター級タイトルマッチ レネ・アルレドンド対浜田剛史 アルレドンド(右)を果敢に攻めダウンを奪う浜田

取材したことはなかったが、いまだ日本記録の15連続KOの剛腕は知られていた。3月に安定王者渡辺二郎が陥落し、日本に世界王者は不在だった。期待は大きかったが、中量級の壁は厚いともいわれた。

王者レネ・アルレドンドはスラリとした長身で、今でいうイケメンのメキシカン。浜田はリーゼント、太いまゆ、長いもみ上げに濃い胸毛の朴訥(ぼくとつ)な沖縄人。好対照ともいえ、対決ムードは高まっていた。ただし、下馬評は不利だった。

浜田のトランクス、シューズに、背中に沖縄の守り神シーサーが描かれたガウンも真っ白。腹をくくった死に装束にも思えた。それが戦法にも表れた。ゴングと同時に突進して左を打ち込んで攻め続けた。

本田会長の指示は「1回から行け」。「ケンカのつもりで、レフェリーが止めるまで打ち続けろ」とも。その作戦通りにコーナーに追い込み、ロープを背負わせた。浜田の上半身が2度もロープからはみ出した。勢い余ったかに見えたが、最初はパンチを返されたため。倒し合いの覚悟を決めた。

ついに右フックをアゴに当て、王者の腰がガクッと落ちた。畳み掛けての6発目で、青コーナーに吹っ飛ばした。ピクリともせずに3分9秒の電撃KO劇。小4から世界を目指し、4度の左拳骨折にも腐らず、ストイックに頂点を極めた。

浜田剛史(中央)が初挑戦で世界ジュニアウエルター級タイトルマッチを制し控室で記念撮影する浜田の父昌吉さん(左)。右は本田明彦会長

浜田剛史(中央)が初挑戦で世界ジュニアウエルター級タイトルマッチを制し控室で記念撮影する浜田の父昌吉さん(左)。右は本田明彦会長

大乃国KO板井の隣で

当時の所属部署は記者が10人ほどで、多人数での取材は相撲、正月のボールゲームに世界戦ぐらい。あの日も担当する相撲取材後の手伝いで、幕内だった板井の隣で見た。こちらも強烈な張り手を武器に、直前の名古屋場所でも大関大乃国を倒していた。ボクシング好きで浜田とも親交があり、その観戦記の対応だった。

「相撲でもあんなに座布団が飛んだのは見たことない」と、板井は驚いた。相撲は支度部屋取材が基本とあって、記者も初めて生で見たシーンだった。その後に大相撲以外で座布団は置かれなくなった。あんな情景は今やもう見ることはできない。

その後、念願かなってボクシング担当となり、数え切れない試合を見てきた。今は井上尚弥の怪物ぶりに目を見張るが、取材記者として初めて生で味わった衝撃があの一戦。あれではまった。30年以上がたつが、同じ昭和生まれのボクサーの前では、今も背筋が伸びる。