タイソン衝撃シーンに静まり返る周囲 撮れてるか…願いつつ現像/カメラマン43年間の回顧録

「チャンスは突然やってくる」。43年間、スポーツの現場を渡り歩いた日刊スポーツのカメラマンが、記憶に残った現場を振り返ります。

スポーツ総合

山崎哲司

こんにちは。日刊スポーツ写真部(現写真映像部)OBの山崎哲司です。現役時代も今も通称で「ヤマテツ」と呼ばれています。1975年に入社して以来、43年間、さまざまな取材現場に赴きました。思い出は数えきれませんが、印象に残るいくつかの現場を、写真とともに振り返ってみました。

1986年に東京写真記者協会スポーツ部門賞を受賞した「クロウ気迫のダイブ」

1986年に東京写真記者協会スポーツ部門賞を受賞した「クロウ気迫のダイブ」

◆山崎哲司(やまざき・てつじ=※1枚目画像の右下が私です) 通称「ヤマテツ」。1975年、日刊スポーツ新聞社東京本社に入社。数年は暗室修行を中心に勤務する。プロ野球、アマ野球、大リーグなどを取材。86年に「クロウ気迫のダイブ」で東京写真記者協会スポーツ部門賞を受賞した。36枚撮りの白黒フィルム時代、ネガカラー時代、そしてデジカメ時代と渡り歩く。いろいろな分野の取材の後、野球、競馬で定年を迎える。「チャンスは突然やってくる」の言葉を胸に、43年間現場に向かった。東海大卒。

■1990年1月23日撮影■マイク・タイソン、初のダウンシーン

90年1月23日、公開スパーリングでスパーリングパートナーを攻め立てるマイク・タイソン(左)。後方左はプロモーターのドン・キング氏

90年1月23日、公開スパーリングでスパーリングパートナーを攻め立てるマイク・タイソン(左)。後方左はプロモーターのドン・キング氏

激しい応酬の中、マイク・タイソン(左)はグレッグ・ペイジの右フックを浴びて…

激しい応酬の中、マイク・タイソン(左)はグレッグ・ペイジの右フックを浴びて…

人生初のダウンを喫した

人生初のダウンを喫した

■回顧1■世界ヘビー級王者マイク・タイソンの公開スパークリングが東京・後楽園の特設ジムで行われた。会場に入ると、外国通信社のカメラマンをはじめ多数が集まっていた。タイソンの気迫ある写真を撮影しなければと、緊張感が走る。

スパークリングが始まると一斉にカメラマンのストロボが光り、気持ちを落ち着かせながらシャッターを切る。猛烈な打ち合いの場面で、「スッ」とタイソンの体がカメラのファインダーから沈んでいく。「エッ! ダウンか? 」。あるわけがないと思っていたダウンシーンに、会場が静まりかえったことを覚えている。 

シャッターを切ったもののフィルムを現像しなければ結果がわからない。「うまく写っていてくれ」と願うばかりだった。

スクラップした90年1月24日付の紙面。この衝撃シーンは1面を飾った

スクラップした90年1月24日付の紙面。この衝撃シーンは1面を飾った

■1996年4月6日撮影■ラモス瑠偉×武田修宏

96年4月6日、磐田対川崎 川崎MFラモス瑠偉(中央)のドリブルをスライディングで阻止する磐田MF武田修宏(左)

96年4月6日、磐田対川崎 川崎MFラモス瑠偉(中央)のドリブルをスライディングで阻止する磐田MF武田修宏(左)

■回顧2■選抜高校野球取材の帰り道、磐田スタジアムで行われる磐田-川崎戦の取材に向かってくれとデスクから指示があった。川崎から磐田に移籍した武田と川崎ラモスの絡みを撮影してほしいとのことだった。

試合が始まった。絡みの写真がうまく撮れない。時間だけがどんどん過ぎていき、焦りばかりが募る。

前半29分、川崎ラモスのドリブルにスライディングする磐田武田の写真がやっと撮影できた。ホッ。

後半はもっといい場面が来るのではないかと期待したが、終わってみればこの1回だけ。送信する写真の枚数が少なかったが、すんなりOKが出てうれしかった。

スクラップした96年4月7日付の紙面。「カタ」と呼ばれる2番目のニュースを配置する場所に掲載された

スクラップした96年4月7日付の紙面。「カタ」と呼ばれる2番目のニュースを配置する場所に掲載された