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バトルタイトル

 新日本プロレス
   G1 CLIMAX  (8月10日〜決勝:8月17日)
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【1998年8月3日付本紙より】

橋本真也G1挑戦8年涙の初V!

橋本真也
8年目の挑戦でやっとG1優勝カップを手にした橋本は目が赤く、涙があふれそうだった

 ◇最終日◇2日◇準決勝2試合、決勝◇東京・両国国技館◇観衆1万1500人

 ▽決勝
 ○橋本 真也{15分34秒 片エビ固め} 山崎 一夫 ●

 「破壊王」橋本真也(33)が、G1初制覇を成し遂げた。準決勝で小島聡(27)を下し、決勝では蝶野正洋(34)を破って波に乗る山崎一夫(35)と対戦。左ひざへの集中攻撃に一歩も引かず、垂直落下式ブレンバスターで勝負を決めた。橋本は8年目にして、最後に残されたビッグタイトルを奪取。新日本の実力NO・1を証明した。8日の大阪ドーム大会では、天龍源一郎(48)の持つ力道山ベルトに挑戦する。

「ちょっと長すぎた」

橋本真也
垂直落下式のブレーンバスターで熱戦に終止符を打った橋本(下)

 張り詰めた表情が崩れていった。橋本の目が赤く染まった。「皆さん、本当にありがとう。やっと勝つことができました」。マイクを握り締め、1万1500人のファンに向かって絶叫した。四つのコーナーの一つ一つに上り、両手を突き上げる。G1初制覇の喜びを体いっぱいに表現した。

 力を信じて戦った。決勝は、蝶野を破った山崎が相手だった。過去4勝10敗1分け。「これだったら勝てるという定義がすべて崩れる人」と、真っ向勝負の橋本には難敵だった。準決勝の小島戦で痛めた左ひざを徹底して狙われた。「どうしても引きたくなかった。痛いけど下がりたくなかった」。そう振り返る橋本の目から、涙があふれた。

橋本真也
橋本(右)は山崎に延髄斬りを浴びせて流れを引き寄せた

 ローキック、低空ドロップキックを浴びながら、歯を食いしばってけさ切りチョップを繰り出した。再三の関節技に、ロープに逃れた。13分すぎ、延髄斬りからリバースDDTで流れをつかむと、コーナーからジャンピング・エルボーまで繰り出した。けさ切り、ローキックから、最後は高々と抱え上げて、垂直落下式ブレーンバスター。破壊王のすべてを出し切って、山崎を粉砕した。

 「ちょっと長過ぎた」。橋本はつぶやくように言った。1991年(平3)にG1が始まって7年間、毎年優勝候補の1番手に挙がっていた。IWGP通算防衛回数20回、IWGPタッグ、さらにSGタッグリーグと、新日本の「タイトル」を勝ち取ってきた男。G1だけは無縁だった。橋本の信じる力のプロレス、一歩も引かない戦い方が、シングルの連戦というスタイルに相いれない面もあった。しかし、橋本は信じた道を突き進んだ。一発勝負、一発勝負と積み重ねた4試合。7年間かかっても、信念がリングの上で実を結んだ。

坂口社長も「三銃士をライバルにして、地道な努力が実った。これからは四天王の時代だ」とうれしそうに話した。31日の横浜アリーナで、橋本が10日に防衛すればIWGP王座への挑戦が決まっている。「今、新日本の中でIWGPのベルトはオレがふさわしい。絶対にそう思う」と佐々木は叫ぶように宣言した。

祝福を受ける橋本
坂口社長らから、祝福を受ける橋本

橋本真也プロフィル

 ◆空手少年 1965年(昭和40年)7月3日、岐阜県土岐市生まれ。父親と生き別れ、おばあちゃん子として育つ。梶原一騎の「空手バカ一代」に夢中になり、小1で空手道場に通う。小6の卒業文集の尊敬する人の欄に「アントニオ猪木」と書いた。

 ◆柔道 中学、高校と柔道で鳴らす。中京商では特待生で、購買部でアルバイトしながら高校生活を送った。卒業後、中京大進学か就職かで迷い「前田日明のようになってやる」とプロレス入りを決意。

 ◆三銃士 入門後の88年7月に同期の武藤、蝶野と闘魂三銃士を結成。長州離脱後の新日本をもり立て、今の地位を築く。結成後の海外遠征ではDDTを習得。93年(平5)9月に念願のIWGP王座獲得。94年5月からは、9度防衛の歴代最多記録を樹立。通算20度の防衛は新日本史上最多記録。異種格闘技にも挑戦する。

 ◆釣り 趣味は釣り。地方巡業には必ず釣りざおを持って行く。東京・野毛の新日本道場近くの多摩川に、投網を投げ込んだ話は有名。歌も趣味の一つで、96年の「ロックアップ」など数回アルバムも出した。

 ◆4人家族 家族はかずみ夫人(32)と長男大地君(6)長女まりちゃん(3)がいる。183センチ、135キロ。


橋本、長期戦避け体重生かした

橋本真也
橋本(左)は重爆キックで山崎のスタミナを奪っていく

 ◆山本小鉄の目 自分の重さの長所と短所を考えたファイトが、橋本の優勝へのポイントになった。135キロの体重。決勝は試合時間が20分を超えれば、疲れが足にきて勝機は少なくなる。ましてや準決勝の小島戦では、ひざを痛めていた。長い試合になっていれば、優勝の目はなかった。

 試合が長引くグラウンド戦を避けて、打撃戦に持ち込んだ。けさ切りチョップの乱打で山崎のスタミナを奪う。首筋だけでなく後頭部、側頭部にまでたたき込んでいた。プランチャまで出して攻めた山崎。その動きが終盤で鈍くなったのは、そのためだ。

 そして、勝負どころでは逆に自分の体重を生かし、トップロープからのエルボードロップ。垂直落下式ブレーンバスターが決め技になったが、エルボー攻撃がなければフォールは奪えなかっただろう。1回戦では後藤をわずか4分で倒すなど、優勝までのペース配分もさすがだった。

 敗れたとはいえ、山崎の頑張りも光った。試合巧者の藤波、蝶野の一瞬のスキを逃さない判断力には目を見張った。若手では小島の健闘に拍手を送りたい。観客へのアピールが多過ぎて、攻撃に間ができるなどまだ甘さはある。それでも、若者らしくパワーで圧倒するファイトには好感が持てた。(新日本プロレス 元審判部長)


橋本と山崎
山崎(左)は橋本の強烈な袈裟斬りチョップを何度も受けた

山崎「気迫負けした」

 山崎は試合後「気迫負けした」と素直に負けを認めた。橋本のけさ切りチョップを受けた首すじは真っ赤だった。若手の手を借りて、やっと控室に戻った。それでもアキレスけん固め、スリーパーで、橋本を苦しめた。

 試合を見ていた長州取締役を「素晴らしいファイトじゃないか」と満足させるほど、打撃、関節技のすごみを存分に発揮した。UWFに参加した山崎は1995年(平成7年)7月、フリーとして新日本に戻って来た。96年6月に飯塚、昨年8月には、佐々木と組んでIWGPタッグ王座を獲得している。実直な人柄で、選手、ファンから「山ちゃん」と親しまれている。今回の活躍で、存在価値が一層、高まった。


夏男・蝶野、まさかの準決勝敗退

蝶野正洋
山崎の起死回生の裏アキレス腱固めに、さすがの蝶野もギブアップ

 蝶野の野望が準決勝でつぶれた。G1・3度優勝の「夏男」。4度目の優勝を果たして大阪ドーム大会に乗り込み、藤波からIWGP王座奪取をもくろんでいた。2冠を果たせば、「nWo人気の衰退に歯止めをかけられる」と踏んでいた。それが山崎にまさかの逆転負け。武藤ら、ほかのメンバーも1回戦で全滅。このままの状態で、8日の藤波戦を迎えるわけにはいかない。蝶野は武藤と相談して、沖縄・万座での緊急キャンプを決めた。

 不覚の敗退だった。試合開始のゴング前から山崎を急襲。場外にたたき落としてSTFを仕掛けた。その後も、要所の急所蹴りで主導権を渡さない。しかし、とどめを刺そうとしたケンカキックを狙われた。蹴り足をがっちりキャッチされ、裏アキレスけん固めを決められた。一瞬のスキを突かれてギブアップ。控室に引き揚げる顔は、自分への怒りで紅潮していた。

 昨年、大ブレークしたnWo人気に、かげりが見えてきた。プロ野球横浜の鈴木尚、三浦ら、ほかのプロスポーツ選手を引き込むなど、話題づくりには相変わらずの才能を発揮している。しかし、nWo勢は現在無冠。左ヒザ故障から再起したばかりの武藤に頼るわけにいかない。総帥の蝶野が結果を出さなければならない。

 藤波戦に向けての出直し合宿が、真夏のリゾート地沖縄となった。蝶野は「女性の水着姿を見て、精気を養う」と、強気を装った。藤波に対しては「あの年寄り野郎はG1を1回戦で負けてスタミナを温存した。ずる賢い」と非難する。その口調に、いつもの荒々しさがないのが気にかかる。【佐藤智徳】


坂口社長「永久開催」明言

 坂口征二社長(56)は、G1の「永久開催」を明言した。今年も3日連続の満員。新日本の大会では、1月4日の東京ドーム大会と並ぶ大入り興行だ。坂口社長は「ファンの間に完全に定着した」と話し、今後も盛大に開催していく方針を示した。

 G1は1991年(平成3年)から開催された。橋本、蝶野、武藤の台頭と重なって、年を重ねるごとに盛り上がってきている。また、昨年は天山が準優勝、今年は小島が4強入り。若手の出世舞台にもなっている。

 来年は今年と同じ7月31日から、3日間興行を予定している。さらにちょうど10周年となる2000年には、記念興行としてビッグ大会を計画。他団体のエースやWCW主力をそろえ、豪華トーナメントを開催する。

 ◆G1クライマックス 新世代の選手の躍進を促すため、1991年(平成3年)にスタート。第1回大会は愛知県体育館と両国国技館3連戦で、蝶野が初優勝を飾った。以後、昨年の第7回大会まですべて国技館で開催され、連続31日間満員となっている。総入場者数も34万6700人を記録している。タイトル戦とは違う新日本のNO・1決定戦は、「真夏の祭典」として定着している。

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