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第350回    一青窈  
2003.02.16付紙面より


「歌手」と言わず「詩を歌う人」 一青窈

 「一青窈」と書いて「ひとと・よう」と読む。父が台湾人、母が日本人のハーフで、早くに両親を亡くした。涙を避けて生きてきたのに、涙の歌「もらい泣き」がヒットして、今、もっとも注目されている。自らを「詩(うた)を歌う人」と表現する、26歳の個性的な人である。

(写真=撮影前に「緊張するんです」と彼女。インタビューで「怖いものはない」と言っていたのに、ステージでも取材でも極度にあがるらしい。しかし、いざ始まると一青ワールドに引き込まれる。小雨が降る中の表情や目線が、何だか彼女らしく感じた。ちなみに、撮影後「今、お薦めの映画あります?」と逆取材された。今年に入って映画館に行ったのは息子と2回見た「ピーター・パン2」だけで答えに詰まり、段ボールにでも入りたくなった)


台湾とのハーフ

 どうしても、名前の話から聞きたくなる。「最初は正確に読んでもらえないのでは」と思ってしまうが、「一青」は母方の姓で、石川県では地名にあるほどポピュラーな固有名詞という。「窈」は「窈窕(ようちょう)」という、漢詩に登場する難解な言葉に由来する。「女性の奥ゆかしく、上品なさま」「美しくたおやかなさま」を意味する。台湾人の父親がつけてくれた。

 「男の子みたいでしょ。多分、知的で美しい子供に育っておくれ、って願い、つけてくれたと思うんですけど『そうなりたいわ』って感じですね」。人ごとのように笑って、説明してくれた。

 飾り気のない、気さくな人だ。インタビューの際、1人でフラッと部屋に入ってきた。耳にヘッドホン、ノーメークでパンツルック。テーブルの上に、古着のジーンズで作ったという口の大きく開いたバッグを置くと、中から無造作に入れられた財布、携帯電話がのぞいた。レコード会社のスタッフに「メークしてくれば」と言われて「あ、そうか」と、初めて気付いたふうにトイレに向かった。

 細かいことは気にしない。父のDNAを受け継いでいるのだろう。大陸的なのだ。1月末に、歌手として初めて故郷・台湾に凱旋(がいせん)した。初アルバム「月天心(つきてんしん)」が現地でも発売になった。大勢の人が「回家」(お帰りなさいの意味)のプラカードで歓迎してくれた。「テレサ・テンさんじゃないけど、それに近しいものを感じてくれているのかと思って、うれしかった」。ハーフということを再確認した旅だった。

 ライブで歌う姿も大胆で、はだしでステージに座って歌う。「家で歌を作っているときや、レコーディングのときも座っているんです。その状態が一番リラックスできるんです」。

 そんな彼女を、世に知らしめたヒット曲が「もらい泣き」。昨年10月発売のデビュー曲で、不振が続く音楽業界の中で、ロングセラーとなり、今も売り上げを伸ばしている。

 カラッとした人なのに涙の歌で認知されるとは、ちょっと意外なのだが、実は「涙」こそ、一青窈の原点なのである。


一青窈

大学でアカペラ

 一青は、人前でほとんど泣いたことがない。子供のころの体験が大きく影響している。

 小学生2年のときに父を、高校生のときに母を亡くした。「パッと死んじゃえば、お父さん、お母さんと出会えるかもしれないと思うときがあるんです。小さいころ、そこ(死後の世界)に行けば、父と一緒にいられるって強く思ったこともあった。私、怖いことってないんです。ぶっちゃけ、死んじゃってもいいかなって思ったこともあるし。だから、自分がやることに、涙が出るほど怖いと思うことがないんです」。

 父は会社員で、日本と台湾を行き来する人だった。家も両方にある、裕福な家庭だった。台湾で生まれ、幼稚園卒園後、母、姉とともに日本へ移り住んだ。父は台湾に残った。将来像、家族の幸せなど、いろいろと考えての選択だった。

 大好きな父と離れて暮らすのは悲しかった。幼いころ、父が買ってくれたディズニーのお話のレコードを聴いて寝るのが日課になった。「寝る前に歌うと、離れている距離を忘れられるし、寂しくなくなるから。歌うことで、自分の気持ちを和らげることができた。要するに、それは、涙から逃避できるってことですよね。歌っている間は、郷愁に浸らなくて大丈夫っていう…」。

 手紙もマメに書いた。手紙が日記でもあった。

 「小2で(父が)死んじゃったあと、書く内容にちょっとずつ感情を流し込めるようになったんです。子供って、素直に思いを出すじゃないですか。なんで、自分だけこういう境遇なんだろうかとか、単純に(親がいなくて)悲しいとか、ねたみ、そねみになっていて、そんなこと書いていましたね」。

 あて先のなくなった手紙は、詩という形に変わり、書きためた。小学校高学年になると、宮沢賢治の詩と出合い、さらに触発され、詩を書くようになった。思春期を迎えるころ、母をも亡くした。詩の数は、増えていった。

 慶大に進学し、アカペラサークル「K.O.E」に入り、現在ゴスペラーズのメンバーの北山陽一(28)と知り合った。これまで書いた詩を見せたところ「お前の詩、おもしろいよ。何個でもいいからファクスしてくれたら、曲つけてやるから歌え!」とアドバイスされた。自分の詩で、歌うようになった。


書かなくては…

 自分のことを「詩を歌う人」という。周囲に、自分が「歌手」ということを告げていない。「恥ずかしいから」が簡単な方の理由だが、もう1つあった。「小さいころからレコードを聴き、歌ってきて、ずっと詩も書き続けてきた。デビューしたからって、やってることは変わらないし」。

 父から贈られたレコードを聴き、手紙や詩を書いて、涙をこらえた思いが、歌手一青窈を生んだ。

 悲しい涙を避けて生きてきたのに、意外にも「もらい泣き」は、そんな一青の数少ない涙がきっかけで誕生した。

 デビューを前にした昨秋の出来事だった。旅行から帰ると、100件近いメールがたまっていた。1件1件チェックすると、1行だけのメールがあった。「窈ちゃん、段ボールの中から出られないんだ」というシンプルな文面だった。

 「その子は、自分と戦っていて迷い込んでしまったんです。深い所に。で、出られなくなっちゃって、ヘルプのサインを私に出してくれたんだけれども、その抜け出せない感覚が文字から伝わってきて、気が付いたらモニターの前で泣いていたんです。この私が! しんみりきたことはあるけど、モニター越しに泣くなんて初めてだったから、ビックリしちゃって」。

 実はその友人は以前、自分のために涙を流してくれたことがあった。「私が失恋したとき、ただ、隣で泣いてくれたんです。普通だったら『ほかにいい男いるってば』とか言うところ、ただ泣いてくれたんです。その涙がフラッシュバックした。その友人に対して自分は何もしてあげられないで、旅行に行ってたんだと思って、それも悲しくて泣いちゃって。ただ泣いて切なさだけがグルグル回って、これは書かなくては、って思ったんです」。

 「もらい泣き」の歌詞には「段ボールの中 ヒキコモりっきり(略)ええいああ 君からもらい泣き」とつづられている。

 その後、その友人から絵だけのメールが送られてきた。心の悩みが解決したことを意味する絵だった。

 今月中旬からは全国ツアー、3月には新曲「大家」(ダージャー)を発売する。「もらい泣き」のヒットによるプレッシャーも、多忙によるストレスもない。「デビューして、変わったことですか? メールが増えて、1つ1つの返事が短くなったことぐらいかな。すっごく切ないけど(笑い)」。

 近い将来、父の言葉の台湾語で1曲歌いきれたら楽しい、と願っている。父を亡くしてから18年が経った。一青は、真の意味での「詩を歌う人」になり始めている。


「妙に目の強い子」が第一印象

 一青窈の先輩のゴスペラーズ北山陽一 初めて会ったのは確か藤沢辺りのコンサートホールだったと思います。「K.O.E」のライブを時間の勘違いで見逃した僕の目の前で、僕1人のためにスパイスガールズを踊り付きで披露してくれた女の子5人組「しょてっぱち」の中の、何だか妙に目の強いコ。これが第一印象です。その後、一緒に曲を作ったり歌ったりして、彼女からたくさんのイメージをもらいました。だからこうして今、彼女の発するイメージに耳を澄ましたり、目を凝らしたりしている人が本当にたくさんいるってことがとてもうれしいし、誇らしいです。また一緒に曲作ろうね。


 ◆一青窈(ひとと・よう) 1976年9月20日、台湾生まれ。父親の死後、母の姓・一青を名乗っている。慶応大環境情報学部卒。在学時はアカペラサークルで活動し、ストリートライブなどを行った。小学生時から書きためている詩がレコード会社の目に留まり、昨年10月「もらい泣き」でデビュー。同年12月アルバム「月天心」を発売した。15日から全国6カ所で初の全国ツアーをスタートさせた。新曲「大家」は3月19日発売。好きな食べ物はスイカ、焼仙草(黒い薬草のゼリー)。155センチ。


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(取材・大崎公一郎、撮影・川口晴也)
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