2004.02.01付紙面より
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| 写真=女優・妻・母と忙しい日々を送る大塚寧々。初舞台「ラブ・レター」を前に穏やかな表情で心境を語った
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| (撮影・たえ見朱実) |
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感性に正直「その時々で真剣、後悔ない」
女優大塚寧々(35)が母になって強くなった。かつてはCMの女王と言われ、ルックス先行の感もあった大塚だが、結婚、出産、離婚、再婚を経て、女優らしい女優になり、初舞台となる「ラブ・レター」(12〜22日、東京・博品館劇場)のけいこに汗を流している。「仕事、母、妻のどれも手は抜きません」と言い切る表情は生き生きとしている。
週刊誌表紙飾る
大塚寧々が世間の目に初めて触れたのは、89年の「週刊朝日」の女子大生シリーズの表紙だった。これが現在の女優につながるのだが、そのきっかけはひょんなことからだった。表紙モデルに応募したのは母親で、大塚には内証だった。
大塚 それがモデルや芸能界への糸口に、というのではなくて、当時、日大芸術学部写真学科に通っていた私に、カメラマンの道をあきらめさせようという意図からだったんです。プロの撮影現場を見せれば、女の子がやっていけるような甘いものじゃない、と分かるだろうと…。私は気が進まないまま、面接に行ったんですけれど、父の友人の長友啓典さん(イラストレーター)がいらして、なごやかな雰囲気のまま決まってしまって…。1回だけのことだから、まあ、いいかなという気持ちでした。
大塚の写真に対する考えは「好きな対象だけを自由に撮りたい方なので、職業にすると決められたものを撮らなくてはならなくなるので、プロは無理だと思っていた」のだから、母親はとんだやぶ蛇だったわけ。表紙で注目されてカネボウ化粧品の夏のキャンペーンガールに抜てきされる。この時は大塚本人の“目算違い”があった。
大塚 (オーディションには)絶対に行かない、って言い張っていたら「受かるつもりなの?」と言われて。じゃ、行くだけ行ってみようかな、と軽い気持ちで行ったら受かっちゃって。学業に影響ないならとお受けしました。
−−その後しばらく目立った活動がなかったですね
大塚 女優の誘いをたくさんいただきました。でも、演劇学科の人など、周囲に(芸能界を)目指している人がいるのに、大してやりたいわけでもない私がやるのは不まじめな気がしてできなかった。女優をやります、というまで3年説得され続けました。
16年目の初舞台
−−なんか、いやいや芸能界入りしたみたい
大塚 その間に大学を卒業したり、映画を見たりして少しずつ変化してきました。もともと物を作ることは好きでしたから、だんだん芝居や映画で演技することが創造につながる実感が持てるようなりました。今では演じることで人に何かを伝えることにひかれます。どうしてできないんだろう、って思うことをバネに続けていこうと。演技って完成形がないでしょう。
初舞台となる「ラブ・レター」の追い込みげいこの真っ最中。一時はCM女王と呼ばれ、同時期に10本も放送されていた人気者としては、16年目の初舞台はゆっくりしたペースだ。
−−舞台は敬遠していたの
大塚 特に嫌いという訳ではないんです。たまたまチャンスとタイミングが合わなかっただけ。今回の出演の決め手は一にも二にも演出(脚本も)が新藤兼人監督ということ。けいこも監督の言うことを信頼して、それに応えようと思っているだけです。
「笑う蛙」「うつつ」などで02年度毎日映画コンクールの主演女優賞を受賞した。演技派に成長したが、関係者は「掛け持ちせず、自分のやりたい仕事、合う役にじっくりと取り組んで、自分のポジションを築いてきた女優」と証言する。「家では子育て、家事に、外では仕事に全力です」という気持ちの持ち方が、メリハリと存在感のある女優にしているようだ。母として、妻として責務を果たしているという思いが、時間的制約を乗り越えて女優の仕事に集中するエネルギーをもたらしている。
−−初めての舞台のけいこは楽しいですか?
大塚 初日がだんだん近づくのは、意識しないようにしているんです。あ、踊るシーンがあるんです。それもタンゴなので頭が痛いですね。私、スポーツは苦手でジムへもほとんど行ってないし…。
−−フィギュアスケートが得意と聞いてますが
大塚 それ、中・高と部活でやっていただけなんです。ただ、自分では運動神経はいいと思っているんですよ。だれも信じてくれないけれど…(笑い)。
−−ご主人の田辺(誠一)さんはアドバイスしてくれる?
大塚 特には何も言いません。彼もいま大変なんです。「新・近松心中物語」(2月=名古屋・御園座、3、4月=東京・日生劇場)に出るので舞台が重なってしまってお互いに必死です。両方の台本を読み合ったりするのには付き合ってくれます。
1日36時間なら
大塚は共同で写真詩集「虎と花」(96年)を出版した詩人で歌手の三代目魚武浜田成夫と98年に結婚した。翌年、長男成虎(しげとら)ちゃん(4)が生まれたが、01年に離婚、大塚は成虎ちゃんの親権を得て女優と子育ての両立に励む。そして02年4月に俳優田辺誠一(34)と再婚し、現在3人家族だ。
−−お子さんはかわいい盛りでしょう。仕事に出るのはつらくない?
大塚 子供も大切ですけど、自分の仕事も大切。結構聞き分けがいいんですよ。朝は私が保育園に預けに行って、遅くなる時は母が迎えに行ってくれます。
−−母親参観などに行くほう?
大塚 はい、運動会も行きましたし、ハロウィーンの時は一緒に町を練り歩きました。仕事がない時は、公園で自転車で遊んだり、ママさんをしっかりやっています。
今は「なんでなんで病」が面白いという。成虎ちゃんは「どうして、お水はこういう色なの」と聞いてくるが、大塚はできるだけ答えるようにしている。
−−子育ての基本方針は
大塚 自分の好きなことを見つけてもらいたいですね。大学でも高校でも、最終学校を卒業するまでに。
−−きつい質問かもしれないけれど、浜田さんとの結婚は失敗だった?
大塚 後悔するような生き方はしていないつもり…。その時々で真剣でしたから。
−−田辺さんとはどんな夫婦ですか
大塚 根本的に感じ方が似ているんです。1つの状況に対して、価値観が同じという感じで、普通にしていられるんです。
−−料理などは?
大塚 母が調理師の免許を持っていて、パンもお菓子も家で作ったものを食べていましたから、大抵のものは自分で作ります。近所のスーパーの人とも仲良しで、ときにはもらいものをすることもあります。有機野菜とか減農薬とかに気を使っています。
−−仕事と主婦業のバランスはうまくとれる?
大塚 (夫や子供の)面倒をみていないとは全然思っていません。子供も大事、夫も大事、役を演じることも私にとって必要なことですから、ちゃんとやっています。これ以上は寝たいだけです。量的には年間の半分は休んで主婦業に専念したいです(と、マネジャーに目配せした)。
1日36時間あればいい、という大塚に、「早く帰って成虎ちゃんの顔を見たい?」と聞くと、「はい」とにっこり。素直さに負けて取材終了と相成りました。
ミートパイは絶品!
親友のタレント千秋(32)
寧々ちゃんは私が芸能界に入って初めてできたお友達です。お互い、いろんな物を作ったり(寧々ちゃんは写真とか…)学生時代の仲間をいつも大事にしたり、似ているところがたくさんあって、すぐに仲良くなりました。2人とも大食いでレストランのテーブルの上は、女2人とは思えないほどのごちそうが並びますが、ペロッと食べちゃいます。寧々ちゃんのつくるミートパイは絶品で、お代わりを何度もしてしまいました。時々しか会えなくても、悩みも秘密も何でも話せる貴重なお友達です。これからもお互い、子育てにお仕事に頑張りましょうね。今日、電話するね!
◆田辺誠一(たなべ・せいいち)◆ 1969年(昭和44年)4月3日、東京都生まれ。モデルから92年TBS「熱い胸騒ぎ」で俳優デビュー。映画「冬の河童」舞台「グリークス」やNHK「トップランナー」司会など幅広く活躍。182センチ、68キロ。血液型A。
◆大塚寧々(おおつか・ねね) 本名・田辺寧々。1968年(昭和43年)6月14日、東京都生まれ。日大芸術学部写真学科卒。大学2年の時「週刊朝日」の表紙モデルとなり、89年カネボウ化粧品夏のキャンペーンモデルに。92年TBS「YAPPARIライブ!」の司会、同年フジ「君のためにできること」で女優デビュー。大河ドラマ「毛利元就」や映画「トイレの花子さん」に出演、今春「機関車先生」など3本の映画が公開される。夫の俳優田辺誠一と長男成虎ちゃんと3人家族。156センチ。血液型B。
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