2004.03.07付紙面より
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| 写真=もう何も言うことはありません! どうぞこの笑顔にみなさんも癒されてください!! |
| (撮影・たえ見朱実) |
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夢も大盛り…映画のシリーズ持てたらホントに「まいう〜」
巨体を揺らし、全国を津々浦々めぐっては、目を細めて、思いきりほおばり、笑みを浮かべて「まいう〜」。おそらく芸能界一「食べている」タレントが、お笑いコンビ「ホンジャマカ」の石塚英彦(42)だ。彼が追求するのは「大盛りの美学」だけではなかった。デブタレ(太っているタレント)であることを誇りに思い、家庭、笑い、将来についてきっちりとしたビジョンを持つ「こだわり屋」だった。
MAX135キロ
楽屋に掛かったTシャツとオーバーオール。その大きさに感心していると“抜け殻”の主が生放送を終えて戻ってきた。「すみませ〜ん。お待たせして」。人懐こい笑顔を見せ、半裸になり、素早く着替えた。
夏でも冬でもオーバーオール姿だ。「走っても落ちない。シャツの汗じみが隠せる。ポケットが多い」とロケにはうってつけ。だが、そこには秘密があった。「まいう〜」を連発し、おいしいものを食べまくるテレビ東京系「元祖!でぶや」で多い迷彩柄だ。
「迷彩を着るときはちょっと“悪キャラ”のスイッチが入るんです。番組や時間帯によって少しずつキャラクターを変えてます」。
プロフィルによると、身長175センチ、体重130キロ。B127−W123−H130センチだが…。
「少し違いますね。最近は126キロくらいです。今、デブタレ仲間で空前の健康ブームが巻き起こっていて、みんな何かしら運動を始めたんです。僕やパパイヤ(鈴木)、内山(信二)君がジム。松村(邦洋)は走って、伊集院(光)君はバスケットをやっています。正確には今朝、ジムに行って量ったので123キロかな。まあ2、3キロは僕たちにしたら誤差みたいなもんですけど(笑い)」。
過去最高は約1年前の135キロだが「階段を見ただけで不機嫌になるくらい。人として危機感を感じて」ジム通いを始めた。
リバウンド20年
中学時代は水泳に熱中し、高校時代は柔道に打ち込んだ。高3の夏の引退時には62キロだったが、トレーニングをやめた途端、体重が急増。卒業時には80キロ超の立派な体になっていた。そこから昨年までグラフは右肩上がり。「ある意味、柔道やめてから20年以上にわたるリバウンドですね」と頭をかいた。
好物はもっぱら肉。
「順番は牛、豚、鳥。30代までは肉食獣でした。でも40代に入ってから魚と野菜の喜びも覚えて。とんかつのキャベツは油を吸収するただの“敷き布団”でしたが、最近はうまいと思えるようになりました」。
豪快に食べる姿は、見る側の食欲を刺激する。
「イメージが定着して、僕が行くと現地の人が『何か食べさせないと』と思うみたい。スタジオよりロケが好きなんで、心の栄養をもらってますね」。
突然ものをもらうことも多い。ぷらっと入った飲食店での大盛りサービスは日常茶飯事。小学生からあめをもらったり、クマの「プーさん」感覚でハチミツを手渡されたこともある。
「先日も撮影の合間、路線バスでおばさんから『ごめんね、これしかなくて』とカステラを1本もらって、その場で食べました。お茶がほしいなと思ったら、今度は別のお客さんが『お茶ありますよ』って。おれは何者? とも思いましたが、みんながものをくれるのは単純に幸せですよね」。
休みは「父」濃縮
石塚らしい話だが「食い気」が結婚の決め手になった。「当時は石田えり似だった」という夫人(42)とは「劇団ひまわり」の同期。20歳で出会った。
「初めてのデートで僕がアメリカンハンバーグとライスの大盛りを頼んだら、かみさんが『私も!』って言ったんですね。そんな女性は初めて。その瞬間『こいつだ』と思いました」。
夫人の6畳一間のアパートに泊まるようになり、やがて半同せい状態に。だが、結婚まで9年を要した。
「結局、人の人生を責任取るわけじゃないですか。たいしたギャラもない時代には迎えにいけないですよね」。
悩み続けていた石塚を強烈なパンチが襲う。
「ふとしたときに、普段は温厚な彼女のお父さんが『石塚くん。うちの娘にも幸せになる権利はあるんだぞ』と。『確かにその通りでございます』としか言えませんでした」。
「このアパートにずっと住んでもいい」「親せきに米屋もいる」。収入を気にかける石塚に、彼女の父は最大限のサポートを約束した。「結局、その3カ月後に結婚しました」。
今では夫人も「ご兄弟といわれるくらい」貫録のある体格になった。11歳の息子と9歳の娘もいるが、泊まりのロケが多く子供と過ごす時間は少ない。
「だから子供と休みが合ったときは普通のお父さんをギュッと濃縮した感じです。その日を全部、子供にささげますね」。
子を語るときはテレビでの笑顔は消える。1人の親として真剣に語る。
「順番を守らないとか、社会のルールを外れたりしたら怒りますよ。最近、ほったらかしの親が多いでしょ。僕は口で言って分からなければたたきます。その辺で優しくしようとは思わないですね」。
息子とは奇妙なライバル関係にもある。寝床でいつも「親子ダジャレバトル」が繰り広げられるという。
「1個ずつダジャレを言い合う。子供だから眠くなって返ってこなくなると、もう寝たなと分かるんです」。
「親父(おやじ)ギャグ」すれすれのダジャレを絶妙な間で放つ石塚にとって、息子がたたき台だった。
「『コンドルのおりの前は込んどる』なんて言うと、息子に『へーっ』と乾いた笑いをされたりして。受けないと分かると、ネタ帳から消してます」。
個性が様々な象
石塚いわく「昔は1番組1デブの時代だった」。
「動物園にたとえると、ライオンがいてキリンがいて、象がいればまとまりのある動物園ですよね。でもそれが象、象、象となると勘弁してくれよとなりますよね。それと同じ。要するにデブは1人でいいと。松村の予定がいっぱいなら、石塚でいいや。石塚が無理なら伊集院君にしようとかね」。
さらに続ける。
「でもその流れが変わってきた。しゃべりとか知性だったら伊集院君だし、ものまねとか突撃ものなら松村。何か食べさせたい、ダジャレがほしいなとなったら僕だったり。象というくくりじゃなく、アフリカ象、インド象、ナウマン象という分け方ができて、デブタレにも個性が生まれた」。
最近、世間では「毒舌」がもてはやされるが「僕は嫌いです」と言い切る。
「人を中傷して笑い取ったりとかダメですね。それで笑いとっても気持ちいいと思わないし、そういうの聞いて笑ってる人もちょっと怖いですね」。
その裏には確固たる自信がある。
「毒舌なしでも、人を笑わせる自信はあります。だから、ボケて突っ込んでもらいたそうにしている先輩芸人がいても、僕は頭をはたくようなことはしません」。
相方の恵俊彰(39)は司会などで活躍、互いにソロ活動が増え「解散か」と勘繰られることも多い。
「そもそもホンジャマカ自体がコンビというよりユニットなんですね。ソロでやってた者同士が組んだわけですから。僕の中ではコントをやるときに2人で組む名前がホンジャマカだと思ってるくらいです」。
そんな恵はライブ前に劇場、照明、音響などを電話ですべて段取りをする「船長」。対する石塚は「愉快な船員? ですかね」。
「まいう〜」とリポートするのが天職かと思えば、本人の野望は別のところにあった。
「劇団に入った時点では役者に興味があって、将来的にはそこを目指したい。それこそ『寅さん』とか『釣りバカ』みたいな映画のシリーズを持てたら最高ですよね。ただ今やってるロケの仕事もものすごく好きなんで。今すぐそれを全部ゼロにするかって聞かれたらNOです。もっと精神的に大人になって落ち着いたら映画に出たいですね」。
熱っぽく語って立ち去るときに小脇に抱えたのは、娘の名前が入った真っ赤なかばん。「これっ? 娘の幼稚園バッグ。小学校に上がったんで、もらっちゃいました。赤は戦う気になりますね」とにんまり。どこへ行っても娘を感じながら、パパは今日も…食べる!
1日8食
<マイベスト1> 僕ね、思われているほど1度にたくさん食べないんですよ。ただ消化が早い。「あ〜満腹」となっても次におなかがすくのが2時間後くらい。だから平均して1日5食ですね。例えば、朝起きてまずカルビ丼、昼がスパゲティミートソース。夕方前にハンバーグ定食を食べて、夜が普通に家族でしゃぶしゃぶ。寝る前に腹がへって、ツナマヨネーズ丼。最高で1日に8食食べた記憶があります。嫌いなもの? 長ネギです。あのぬるっとした「輪っかがずれる感じ」が気持ち悪い。食わず嫌いではなく、何度かトライしてダメだったんです。
◆元祖!でぶや◆ 石塚とパパイヤ鈴木が全国のうまいもの探し求める、テレビ東京系のバラエティー番組。00年から深夜枠で放送されてきた「debuya」が前身。03年10月にゴールデンタイム(金曜午後9時)に昇格しタイトルが「元祖!でぶや」に改められた。
◆まいう〜 うまい、おいしいの意。すしを「シースー」ハワイを「ワイハ」と言ったり、言葉を逆に読む芸能界の慣習に目を付けて、数年前から石塚が多用。一般にも広まっている。
◆石塚英彦(いしづか・ひでひこ) 本名同じ。1962年(昭和37年)2月6日、神奈川県生まれ。関東学院大経済学部卒。劇団ひまわり所属後、1人コントで活動。89年、恵俊彰とコンビ「ホンジャマカ」を結成しデビュー。バラエティーのほか、日本テレビ系「平成夫婦茶碗〜ドケチの花道」(00年)などドラマにも出演。現在、テレビ東京系「元祖!でぶや」、日本テレビ系「メレンゲの気持ち」「汐留スタイル」、TBS系「関口宏の東京フレンドパーク2」などレギュラー多数。著書に「通りの達人」など。家族は妻と1男1女。血液型O。
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