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 nikkansports.com > 芸能TOP > インタビュー > ラサール石井
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  インタビュー<日曜日のヒーロー>
 過去のインタビューは、日刊スポーツ紙面(東京本社発行分)でもご覧になれます。
 ご希望の方は→紙面バックナンバー申し込み
 なお、WEB上では、紙面より1週間遅れでの公開となります。
第488回    ラサール石井  
2005.10.30付紙面より

ラサール石井
写真= お笑い芸人がキャスターをやる−。それに伴う葛藤を聞かされたとき、かなりシビレました。お笑いに対する強いプライド、こだわりを感じたからです。幼少時から慣れ親しんだお笑いや演芸に、ずっと敬意を持ち続けてきた人生。素直に、カッコイイな、と思いました
(撮影・鈴木豊)

人生は青信号

 コメディアンであり演出家。役者もこなせば、ニュースキャスターだってやってしまう。50歳になったラサール石井は、今も80年代に「コント赤信号」で茶の間を沸かせたエネルギーを失わず、走り続けている。鹿児島ラサール高から早大へ。芸能界きっての秀才だが、学歴の勝ち組にだって挫折はあった。才能に加えて、壁にぶつかったら別の道を探せばいいという、しなやかで前向きな生き方が「道は必ず開けるものだ」と教えてくれた。


「根が貧乏性」

 小走りでテーブルに着き、小走りでスタジオに向かって行った。インタビューが終わったのは、ニュースキャスターとして出演するTBS「イブニング・ファイブ」の本番40分前。「では、適当に」。記者に原稿を託した石井は、キュッと唇を真一文字に結び「よし、行こう」。小声で発した一言が時間と闘う日々の緊張感をうかがわせる。分刻みのスケジュールは、ベッドから起き上がった瞬間から始まる。

 「夕方のニュース出演は、本当に芝居のリズムと合わない。睡眠時間? 今は特にありませんねぇ。やっぱりしんどいですよ」。

 数日前から、演出を手掛けている「山口百恵トリビュートミュージカル プレイバックpart2 屋上の天使」のけいこもスタートした。12月10日の初日まで、約1カ月半で仕上げなければならない。

 「6時起床。ニュースと新聞を見てけいこへ。(役者には)申し訳ありませんが、けいこはどうしても朝が早くなる。午後2時まで演出家の仕事をして、ニュースの仕事に入ります」。

 移動の車中、本番前の楽屋では寸暇を惜しんでスポーツ紙、一般紙に目を通す。ニュースが終われば、またけいこ。帰宅は午前2時を過ぎることも。睡眠時間は平均4時間程度だ。今や、演劇は彼のライフワークとなっている。

 「演出家は昔からやりたかった仕事です。彫刻家や画家と違って1人で作るものではない。ゼロから始めてそれが100%かどうかは分からないが、みんなで力を合わせたものが形になって喜べるのがいい」。

 ちょっと待てよ−。彼は80年代のお笑いブームで一世を風びした一流コメディアンではなかったか。25年前に「コント赤信号」でテレビ初登場。本来は笑いの世界だけでも十分に成功の道を歩めたはずだ。

 「最近、お笑いの人間たちと話していると『何でそんな面倒なことをやっているの』『舞台で毎日同じことをやって楽しいの』って言われる。でも実は毎日同じじゃない。毎日同じセリフでも、毎日違うところが面白い。1つにのめり込めないタイプなんですよ。何でも飽きて集中力がない。根が貧乏性なんでね、やれるもんは全部やってみようと思っちゃうんです」。

 −−能力があるから笑いも、演劇もできちゃう

 「いや、能力があれば1つのことを極めようとするはず。それがないから広く浅くやってるんです」。


「敗北者の目」

ラサール石井

 名門の鹿児島ラサール高を卒業したことから付けられた芸名が示すように、芸能界屈指の秀才だ。しかし、多角的に活動できるわけは、生まれ持った才能だけでは語れない。

 「本当に勉強をしたのは中3のときだけ。大阪の実家の裏に塾があったが、中2まではサボりまくって繁華街で映画を見ていた。あまりにサボるんで、親にバレて塾に泊まり込みをさせられたんです。ほとんど信者のような生活で勉強漬け。親や先生に反発してたらラサールはなかった」。

 −−親に従った理由は

 「向こう見ずなところもあって、そう言われたら、やってやろうと。集中力はないが、勉強は嫌いじゃなかった。先生に『お前はどこに行きたい』と聞かれて『灘高です』って返事しました。そしたら先生が『お母さん見てください、この子の目は敗北者の目です』って言うんです」。

 コメディアンを志したのは5歳のとき。劇場中継「雲の上団五郎一座」で見た三木のり平にあこがれた。大村崑に陶酔し、メガネをズラしてかけるために、わざと暗い部屋で読書して視力を悪くした。

 「吉本、松竹新喜劇、関西の子は日常的に笑いを見ているから、当然自分も人を笑わせたいと思うようになる。でも、学校には面白いヤツがたくさんいて、オレは1番じゃなく、2番か3番。で、8歳のころ、学校で1番じゃない自分に笑いはできないと分かって、あきらめたんです」。

 中学時代は青島幸男に傾倒して放送作家を目指した。一方で青島は、バラエティー番組にも出演し、映画監督もこなしていた。「こんな人になりたい」と漠然と思ったという。

 「いまだに、オレは間違ってお笑いの世界に入ってきたんだと思っています。まともに勝負して、さんまさんや紳助さんと張り合えないことは分かっている。だけど何とかしがみついてきた。最近は、若手もたくさん出てきて、若い者に負けられない、というほどのものじゃないけど、何か一緒にやっていたい。ダチョウ倶楽部が氷水に入ったら、ちょっとうらやましい。オレもやりたいなと」。

 「広く浅く」。石井はこれまでの自分の生き方をこう表現する。だが、実は最初の夢だってあきらめなかった。1番になれずとも、目標に近づける自分流の道を模索し続けてきた。

 「今、さんまさんとコント公演もやってるけど、今度のテーマは『笑いを忘れたラサールの再生』。『ニュースを読んでいるお前はもう笑いを忘れている』と突っ込まれるんです。今のところギャグで済んでいるけど、実際は、ほかのジャンルに手を広げてバラエティーの本数が減った人はたくさんいる。でもオレは減らしたくない」。


「現実は甘い」

ラサール石井

 鹿児島ラサールから早大第1文学部に現役合格。が、その学歴は彼にとってはあまり大きな意味はない。

 「ラサールに入学して最初の学内試験で、260人中7番になった。中学の塾で高校の勉強をやっていたから。この学校からは年間80人が東大に行くので『なんだオレは東大に行けるな』って思っちゃった。それから成績は落ちる一方。高3の最後には243番。早稲田は中学のときに塾で習った数1で受験できたから通っただけなんです」。

 大学は4年で中退。入学直後から演劇にのめり込み、1年生から演出家に抜てきされた。授業どころでなかった。

 「みんなまじめに授業に出ていて、なかなか通しげいこができない。あんまりメンバーがそろわないから『いいかげんしろ! 授業と芝居のどっちが大事なんだ』ってワケの分からないことを言ってました。そんな自分が授業に行けるわけがありませんでした」。

 その後、在学中に出会った渡辺正行、小宮孝泰と「コント赤信号」を結成。渋谷のストリップ劇場でコントを始めた。子供のときに培った笑いのセンス、塾を通して得た教養、学生時代にのめり込んだ舞台演出。貴重な財産は、トリオ結成からわずか2年でテレビデビューへと向かわせた。

 −−夢をつかむコツは

 「続けることです」。

 −−でもあなたは長く続けなくてもできた

 「それは運が良かったから。オレだって灘高も落ちたし、東大も落ちた。軽い挫折はあるんですよ。オレが一番嫌いな言葉は『現実は甘くない』という教え方。よく皆さん子供に言うでしょう。『お前がミュージシャンになりたいからって、そんなに世の中は甘くない』と。これって妥協を促す言葉じゃない。もちろん駄目になったときの方向転換は必要だけど、大事なことは今いるところからどれだけ伸びることができるか。中学の塾の先生も受験に失敗した子に話してました。ずーっと厳しかった人が『実は現実は甘いぞ、やり直しはいくらでも利くから頑張れよ』と。素晴らしい先生のもとで勉強できたと思っています」。

 たとえ壁に当たっても次がある。まさに石井が8歳のころから身をもって体験してきたことでもある。「後悔だけはしたくない。やりたいことはやってきた」。気が付けば、目の前には仕事が山のようになっていた。今一番欲しいものは「休み」だという。そこに行き着くまではまだまだ、時間が掛かりそうだ。


忙しくても真っ向勝負

 俳優伊東四朗(68) 昨年「伊東四朗一座〜旗揚げ解散公演〜」なる、とても潔いサブタイトルの芝居をやったとき、ダメ元で出演依頼をしたら、意外にも「OK」と言ってくれたのがラサール石井ちゃん。だって当時は早朝番組(月〜金曜)をやっていて、舞台に出る暇も体力もないだろうと思ったから。その上「超」の付くエキセントリック主役。常人ならば絶対断る。しかし、出演を承諾した後に台本ができたため、後には引けない。その時の彼の気持ちが手に取るように分かる。照れたり引いたりせず真っ向勝負。おかげで客席は大爆笑。今でもあの芝居のMVPは、石井ちゃんだと思っています。


 ◆「プレイバックpart2 屋上の天使」 山口百恵さんの楽曲を使用したミュージカル。高畑充希、榊原郁恵、鶴見辰吾ら出演。娘が古いアルバムの中に入って若き日の母と出会うファンタジー。12月10日から東京国際フォーラムC。


 ◆ラサール石井(いしい) 本名・石井章雄。1955年(昭和30年)10月19日、大阪府生まれ。鹿児島ラサール高、早大文学部中退。早大在学中の78年、所属していた劇団テアトルエコーで渡辺正行、小宮孝泰と出会い、お笑いトリオ「コント赤信号」を結成。漫才ブームたけなわの80年にフジテレビ「花王名人劇場」に出演しデビュー。以来、映画、舞台、テレビドラマに出演。演出家としての代表作には「燃えよ剣」「スター誕生」などがある。家族は妻と2女。


(取材・山内崇章)

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