「誰よりも君を愛す」「お座敷小唄」などのヒット曲で知られる「和田弘とマヒナスターズ」のリーダー和田弘(わだ・ひろし)さんが04年1月5日午前9時15分、神奈川県川崎市内の病院で、不整脈のため死去した。72歳だった。腎臓病治療のため通院していた病院で、この日倒れたまま息を引き取った。マヒナスターズは、日本初の歌謡コーラスグループとして、50〜60年代に数多くのヒット曲を世に送り出した。
急死だった。和田さんは、この日午前8時すぎ、持病の腎臓病の治療で透析をするため、自家用車を自ら運転し、都内の自宅から、川崎市高津区の病院に向かった。治療までの待ち時間に、売店に向かって歩いていた途中の廊下で突然、倒れた。すぐに病室に運ばれたが、午前9時15分、息を引き取った。妻は病気療養のため入院中。長男もヨーロッパ旅行中のため、病院で1人きりで亡くなった。
和田さんは、7〜8年前から、体調不良を訴えていた。腎臓病と診断され、定期的に透析や検査を受けていた。97年1月に体調を崩し、緊急入院したこともあった。CD発売こそなかったが、昨年までステージに出演するなど、音楽活動は続けていた。今年は、グループ結成50周年にあたり、新曲のレコーディングも計画されていた矢先の出来事だった。関係者によると、和田さんは、体調が悪くても、仕事を続けることを望んでいたという。
和田さんは、作曲家の故浜口庫之助さんに師事した後、ハワイアンバンドを経て、54年に「和田弘とマヒナスターズ」を結成した。スチールギターを担当する和田さんをリーダーに、ボーカル、ウクレレ、ベースなど6人編成。都会派歌謡にジャズやハワイアンの要素を加え、日本初のムード歌謡コーラスグループとして、50〜60年代の音楽界をリードした。和田さんの弾くむせび泣くようなスチールギターの響き、甘くやるせないコーラスが人々の心をつかんだ。故松尾和子さんとのデュエット曲「誰よりも君を愛す」は第2回レコード大賞を受賞。吉永小百合、三沢あけみらとのデュエットでも人気を集めた。メンバーはその後、入れ替わったが、89年に全盛期のオリジナルメンバーで再出発し、話題を集めた。
写真=67年当時の和田弘とマヒナスターズ。前列左が和田さん