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渡辺文雄さん74歳、天に旅立つ

渡辺文雄さん

 大島渚監督の映画などで個性派俳優として活躍した渡辺文雄さん(わたなべ・ふみお、本名同じ)が04年8月4日午前1時47分、急性呼吸不全のため東京都港区の病院で死去した。74歳。6月7日に入院し、肝臓がんと分かったが、渡辺さん本人には告知しなかったという。フジテレビ「くいしん坊!万才」の初代リポーター、日本テレビ系の長寿番組「遠くへ行きたい」リポーターとしても人気を得た。

 渡辺さんは今年6月4日に「調子が悪い」と訴えて都内の病院で検査を受け、7日に入院した。この日、会見した妻の純子(すみこ)さんによると、肝臓がんと診断されたが本人には告知せず、肝膿瘍(のうよう)と説明していた。しかし病状の進行は早く、入院2週間目までは会話ができたが、その後は意識不明の混濁状態が続き、4日未明に純子さんと2人の娘にみとられて息を引き取った。「あっという間でしたが、最後は苦しまなかった」(純子さん)。

 最後の仕事となったのは入院前の5月中旬に山形ロケを行った「遠くへ行きたい」(日本テレビ系)。渡辺さんは同番組のリポーターを72年から32年間務めていた。純子さんは「入院前に『仕事をちゃんとしてから入院したい』と言ったので、こっちが反対して入院させました。旅が好きで、あちこちに行ってましたが『疲れた』と言ってました。こっちが早く気が付いてあげればよかった」と悔んだ。

 東大経済学部卒業後、電通に入社。社員時代の56年、出向先の松竹で小林正樹監督「泉」に出演したことがきっかけで映画界入りした。「愛と希望の街」(59年)以降、「青春残酷物語」「日本の夜と霧」など一連の大島監督作品に出演。大島監督とともに松竹を退社して、61年に創造社設立に参加した。知的なインテリやくざを多く演じて新しい悪役像を作り上げたほか「八月の濡れた砂」「ヒポクラテスたち」などに脇役として出演、個性派俳優として欠かせない存在となった。

 テレビでも「遠くへ行きたい」をはじめ、NHK「連想ゲーム」の解答者、フジテレビ系「くいしん坊!万才」では75年から初代リポーターを2年間務めた。食べ物や旅の通として知られ、著書も多かった。また、02年に岐阜県の飛騨・世界生活文化センターの館長に就任し、岐阜女子大ではマスコミ学の講師を務めた。


渡辺文雄(わたなべ・ふみお)
 本名同じ。1929年(昭和4年)10月30日、東京・神田生まれ。東大経済学部卒。主な映画は「絞死刑」など大島渚作品のほか、「動脈列島」「新幹線大爆破」。ドラマ「うず潮」、舞台「荒野のくいしん坊」など。著書も「味はつらつ」など多数。家族は純子夫人と2女。
葬儀日程
 ▼通夜 6日午後6時から東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所
 ▼葬儀・告別式 7日午後0時30分から、同所
 ▼喪主 妻純子(すみこ)さん


最後の仕事…5月の天童ロケ

 渡辺さんの最後の仕事となったのは「遠くへ行きたい」。山形県天童市をリポーターとして訪れた。5月中旬にロケが行われ、6月6日に放送された。渡辺さんは72年7月の第93回から計364回出演。プライベートでも旅好きで、この仕事がライフワークの1つだったという。


関係者悲しみの声

 大島渚監督夫人で映画でも共演した女優小山明子(69) 1カ月ほど前、自宅での食事会に来てくれるはずだったが、検査入院を理由にキャンセルされました。まさかお亡くなりになるとは…。私と大島監督は、渡辺夫妻と同じころに結婚して、当時は同じ赤坂に住んでいました。朗らかな方で、映画の話になると夢中になりとまらなくなった。同時代の役者さんがまた1人逝かれた。とても寂しい。

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