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 nikkansports.com >不可能への挑戦 >モハメド・アリ
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「チョウのように舞い、ハチのように刺す」モハメド・アリ モハメド・アリ
 最強のボクサーにして、最高のビッグマウス(大口たたき)……。元世界ヘビー級王者モハメド・アリは、今なお世界最高のボクサーとして、世界中で高い評価を受けている。190センチ、98キロの機敏な肉体を武器に、ジャブ・アンド・ダンス戦法でヘビー級のボクシング界に革命を巻き起こし、60年のプロデビューから81年の引退まで、20年以上にわたり、戦い続けた。プロ通算成績は61戦56勝5敗。「不可能」と思われたいくつもの戦いを勝ち抜き、最強伝説を築き上げた。イスラム教への改宗によるカシアス・クレイからアリへの改名、徴兵拒否による王座はく奪など、その戦いはリングの中だけではなかった。

なんともいい気分だ、予言通りになっただろ…

 米フロリダ州マイアミビーチで行われた世界ヘビー級タイトルマッチ。アリ(当時クレイ)は、プロデビュー以来19戦無敗の成績で、王者リストンに初挑戦した。ローマ五輪でLヘビー級で金メダルを獲得し、鳴り物入りでプロ転向。19連勝と勝利は重ねたものの「ホラ吹きクレイ」「予言者クレイ」とビッグマウスばかりが、話題を集めていた。
 事実、試合予想も圧倒的に王者リストン有利。1万6000人収容の会場には、集まった観客はわずか8000人だった。
 しかし、「不可能」と言われた王座奪取を成し遂げた。開始直後からリズムのいいジャブで圧倒、3Rには連打でリストンが激しく出血するほどの攻勢を見せた。そして、運命の7R。ゴングが鳴ってもリストンは、コーナーから立ち上がらない。左肩の負傷が記者席に伝えられ、アリのTKO勝ちが宣言された。
 試合後の控え室で、アリは吠えた。「なんともいい気分だ、予言通りになっただろ…。オレこそ世界一だ」。アリ22歳、無敗での王者獲得は、史上4人目の快挙だった。
独特のポーズで対戦相手を挑発するモハメド・アリ
 この後、リストンとのリターンマッチを1回KOで退けると、9回連続防衛に成功。しかし、「罪のないベトナム人を殺す気はない」とベトナム戦争への徴兵を拒否。世界タイトルとボクシング・ライセンスははく奪され、逮捕、投獄、罵声、嘲笑と、あらゆる逆風が襲った。肉体的、精神的に最も充実すべき20代後半の絶頂期の3年半を失った。

長引けば必ずオレの勝ち。すべてはそれにかけた

 「世紀の逆転KO」。アリの勝利に翌日の新聞は、1面でその快挙を伝えた。
 アフリカ・ザイールの首都キンシャサ。世紀の決戦、王者ジョージ・フォアマン−モハメド・アリの試合には、6万2800人の大観衆が集まった。1万個のスポットライトによりリングは光り輝き、午前4時の試合開始のゴングを待っていた。
 70年10月、奇跡のカムバックを遂げたアリだが、復帰3戦目の71年3月、世界王者のジョー・フレーザーとの対戦では判定負け。限界説がささやかれたが、闘志は衰えなかった。日本での試合も含め、なんと2年半で13試合を消化、12勝1敗と驚異的な成績をマーク。さらにフレーザーとの因縁の再戦を12回判定で退け、ついに王者フォアマンへの挑戦権を獲得した。
 しかし、世間の評価は、圧倒的にフォマン有利だった。ニューヨークのかけ率は「3対1」、ロンドンでは「11対5」。25歳で40連勝(37回KO勝ち)を続ける若い王者の優位は動かなかった。
 しかし、再びアリは奇跡を起こした。
 「本当のプロを見せてやる」と、試合前のリング上でフォアマンを罵倒。挑発された王者は1Rからパワー全開で、重いパンチをアリに打ち込み続けた。王者の優位の状況は、試合開始後も変わらなかった。
 が、リングにいたアリだけは違った。「長引けばオレの勝ち。3回までは、ロープ際で体を休めていた」。4回以降、アリのジャブが的確にヒット。巧みなディフェンスは、王者のスタミナを奪っていった。
 そして、運命の8回。疲れの見えたフォアマンの顔面に、鮮やかなワン・ツー。右ストレートを浴びたフォアマンは、顔面からリングへと崩れ落ちた…。 「開始前に叫んだのも、俺の血圧と緊張を下げるため。これがプロのファイトだ」。アリ32歳。初のタイトル奪取から10年目の奇跡のカムバックだった。  さらに、3年間で10度の防衛を積み上げた。しかし、戦いのモチベーションの維持は困難だった。度重なる引退宣言、試合は判定防衛が続いた。
アリが現代のトップアスリートと競演
 アディダスではグローバル・ブランドキャンペーン「IMPOSSIBLE IS NOTHING(『不可能』なんて、ありえない。)」を展開している。このキャンペーンのTVCMは、アリと一流アスリートたちが一緒にランニングする「ロングラン編」、現役時代のアリが、娘のレイラとボクシングで対戦する「レイラ編」、パラリンピック金メダリスト、ステイシー・コーハットが車いすでハーフパイプに挑戦する「ステイシー編」の3本あり、3月31日からオンエアされる(アディダスwebサイトでも公開予定)。
 中でも注目すべきは「ロングラン編」。74年、アリが当時の世界王者ジョージ・フォアマンとの対戦前に、ザイールでランニングしている。このランニングに加わるのは、デビッド・ベッカム、ジネディーヌ・ジダン、イアン・ソープら現役トップアスリート。最新のコンピューターグラフィックによって、現役時代のアリと現代の一流アスリートの共演が、見事に「実現」している。
娘レイラ・アリと対戦
 そして、神話が崩れた。アリ36歳。プロ8戦目、24歳の挑戦者レオン・スピンクスの前に、判定で敗れ、王者転落。「アリ時代崩壊」と世界に伝えられた。

アイム・グレイテスト

 3度目の奇跡…、アリは不滅だった。米ルイジアナ州スーパードームに集まった観衆は7万人。3つの世界戦に続いて行われたメーンイベントだった。
 10Rの開始ゴング前、アリはコーナーから立ち上がり、大観衆に向け叫んだ。「アイム・グレイティスト」。反対のコーナーには、半年前に敗れたスピンクスがいる。試合中盤でありながら、アリは、すでに勝利を確信していた。
 同じ年の2月15日、スピンクスにサンドバックのように打たれたアリ…。しかし、36歳のアリは再び「チョウのように舞い、ハチのように刺した」。最後までフットワークは止まることはなかった。徹底してスピンクスの戦法を研究。接近戦を阻止し、巧みなクリンチとロープワークで、最後までアリのペースだった。
 3度目の奇跡を成し遂げたが、限界は近づいていた。試合後、報道陣からの「王者のまま引退するのか。WBC王者のラリー・ホームズと統一戦をする気があるのか」という問いに、アリは「それを決めるのに6カ月から8カ月は考えたい」と話した。
奇跡の復活から10カ月。正式に王者のまま引退を発表した。「体力の限界」が理由だった。
 しかし、アリは、アリだった。四たび、リングに復帰した。
 38歳での復帰戦は、WBCヘビー級王者ラリー・ホームズとの世界戦。ホームズの前に完敗。自身初のKO負けを喫した。
 そしてついに最後の戦い。相手はカナダ王者のトレーバー・バービック。アリの体重は107.2キロとベストの98キロを9キロ以上もオーバーしていた。結果は3−0の判定負け。アリは、ついにリングから降りた。


レイラ・アリ/Laila Ali
「父は私のことを誇りに思ったでしょう」
 レイラは、偉大なる世界王者モハメド・アリが観戦する中、左ジャブ数発から、右ストレート1発。わずか31秒で、デビュー戦初勝利を飾った。
 「気持ちいいけど、早く終わりすぎて残念」と語ったレイラの快進撃が始まった。01年6月には、父と死闘を演じた元世界同級王者ジョー・フレージャー氏の娘ジャッキー・フレージャー(39=米国)と初対戦。2−0の判定で快勝し、10連勝を飾る。さらに02年8月には、IBA(国際ボクシング協会)女子スーパーミドル級王座を獲得。親娘2代で世界王者の座に輝いた。
 そのコメントは、父親アリにも負けない。女子ボクシングの先駆者クリスティ・マーチンとの対戦では、「5回までにKO勝ち」と予告。見事4回48秒でKO勝ちし、「女子最強」の称号を手に入れた。
 父アリはデビュー以来20連勝で初のタイトルを手にした。レイラも勝ち続けることで、「女子最強伝説」を創り上げていく。
◇レイラ・アリ
 1977年12月30日、米ロサンゼルス生まれ。アリ氏は1男7女がおり、85年に離婚した3番目の夫人ベロニカさんとの間に生まれた末娘。サンタモニカ・コミュニティー・カレッジ時代から抜群の運動神経で注目を集めた。ネイルサロン経営の傍ら、98年夏から本格的にボクシングを始め、LAジムで男子相手に練習。得意は右フック。身長178センチの右ボクサーファイター。



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