![]() ラッセル・スライト組が優勝!カワサキ、悲願の初制覇◇7月25日◇決勝◇三重・鈴鹿サーキット(一周5・86403キロ)◇観衆12万人◇晴れ 国内二輪4大メーカーのうち唯一勝てなかったカワサキが、悲願の初優勝を飾った。予選3位のスコット・ラッセル(28=伊藤ハム・レーシング・カワサキ)アーロン・スライト(27)組が149周目、スタート5時間44分後にトップに立ち、そのまま栄光のチェッカーを受けた。11年ぶりの日本人コンビ優勝が期待された藤原儀彦(26=キリンビバレッジRTヤマハ)永井康友(27)組は、5時間過ぎまでトップを守っていたが、クラッチトラブルで32位に終わった。 ワークスライダー塚本は涙カワサキの初優勝を決めたラッセルのウイニングランを、ワークスライダーの塚本昭一(32)はピットでジッと見つめていた。自身は相棒の転倒があり5位となったが、勝てるマシンの開発を続けてきたのは塚本らのライダーだった。「やっと勝てたんですね。長かった」。大きな目が、涙でみるみる間に潤んでいった。 16度目を迎えた8耐だが、国内4大メーカーでは、唯一優勝がなく、1983年(昭58)の2位(ラフォン・イゴア組)が最高だった。ルマン24時間レースは2連覇中、米国で最も伝統のあるデイトナ200マイルも昨年制していた。だが、どうしても8耐だけは勝てなかった。84〜86年までは、リストラのためワークス活動さえできない苦悩の時代もあったが、8耐優勝の希望は捨てなかった。 レースでは、幸運が重なった。トップを快走していたローソン、ドゥーハンらホンダ勢が次々と転倒、中盤にはヤマハの藤原組がクラッチトラブルで脱落していった。それに対して「ドゥーハンが転倒した時に勝てると思った」と言うラッセル、スライト組は一度のトラブルもなく、5時間44分にトップに立ち、8時間を無事走り切った。雨のセッティングに難があったが、雨が降り始めたのは最終周に入ってからだった。 昨年は、直線はホンダよりも速いといわれたが、塚本、宗和組が3位を走りながら電気系トラブルで13位に終わった。信頼性が問題だった。「今年は4月で開発をストップした。トップスピードはもう一番ではないが、耐久性のチェックの方が重要だった」と、安井隆志監督は言った。今季の全日本選手権レースでは、練習走行、予選、決勝を通じてマシントラブルは一度だけになるまで、信頼性はアップしていた。 さらに、昨年までトップチームより5秒以上遅かったタイヤ交換の向上が効いた。「周囲の明かりを消して真っ暗な中でもできるようにした。ピットインのロスをばん回しようと頑張る選手の焦りを軽減したかった」。モータースポーツ部の岩崎茂樹部長(57)は油とシャンパンまみれのクルーをたたえた。 TT−F1による8耐は今年で終わり、来年からは改造範囲の狭いスーパーバイクとなる。区切りのレースで、カワサキが見事に有終の美を飾った。 【飯田玄】
日本ペア、藤原・永井組 トラブルで32位日本人ペアの優勝は、またも夢と消えた。ホンダ勢が次々と脱落し、中盤からはヤマハの藤原、永井組とカワサキのラッセル組との争いとなった。 永井が乗ってトップをキープしていた148周目、クラッチトラブルでピット入りを余儀なくされた。再度スタートを切ったが、今度はミッションに異常が発生し、完全に優勝争いから遠ざかってしまった。何とかゴールしたが19周遅れの32位だった。 「藤原君が走っていた時から、兆候があったんだ」。永井はマシンから降りるとしゃがみこんでしまった。藤原は「ともかく疲れた。悔しい」と顔面を真っ赤にさせていた。1982年(昭57)に飯島、萩原組が優勝したが、この時は台風の影響で6時間に短縮されていた。8時間を走り切っての日本人ペアの優勝は、また来年に持ち越された。 PPのドゥーハン、転倒で無念の4位ホンダ3連覇の期待を一身に受けてトップを快走していたドゥーハン(28=チームHRC)は、88周目のS字で、痛恨の転倒を喫した。ちょうどその時、第1コーナーからS字までオイル注意の旗が出ていた。右ハンドルは折れていたが、何とかピットまで戻り、「これからハードに攻める。結果はついてくるだろう」と遅れを取り戻す熱走を見せたが、4位まで上がるのが精いっぱい。 日本航空高レーシング部、感動の47位高校生12人で挑戦していた日本航空高レーシング部が、感動のウイニングラン(47位)を迎えた。練習走行では第2ライダーが転倒して入院、予選初日にも第3ライダーが転倒などハプニングの連続だったが、決勝では2分25秒台をコンスタントにマークし続け、全員が8時間を戦い抜いた。「たくましい子供たちです」。佐野仁監督(42)は、サングラスの下の涙を盛んにぬぐっていた。 ローソン2位に終わる…優勝して世界GP復帰を狙ったローソン(35=ampmカネモト・ホンダ)も、転倒に沈んだ。24周目の逆バンクで突然後輪が浮き上がり、コースアウトしてバリアに頭から激突した。「フロントが急に流れたが、きっとオイルに乗ったのだろう。とても悔しい」。2位で表彰台に上がったものの、喜びの笑みはなかった。
来年度からスーパーバイクのレースに1984年(それ以前はオープンクラス)から4サイクル、750CCのTT−F1マシンで争われていた8耐だが、来年からスーパーバイクによるレースとなる。相違点は改造範囲の違いにある。スーパーバイクはエンジン、キャブレター、フレームなどの基本的なものは市販マシンのものを使用しなければならず、4サイクルマシンの場合は165キロ以上の重量制限(TT−F1はなし)がある。 TT−F1は改造範囲が広すぎ、メーカーが豊富な資金を使い、エンジンばかりか、ボルトの一つ一つまで改良しているのに対し、プライベートチームはとてもそこまで手が回らないのが現状だ。 参加台数が激減し、予選落ちのない前代未聞の今年のレースだったが、レース資金の負担が軽くなる来年は、再び20台以上が予選落ちする激戦となるはずだ。
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