64年東京五輪のレジェンドが、50年分の思いをぶちまけた。同大会で金メダル第1号に輝いた重量挙げの三宅義信氏(74)とアニマルの異名通りに優勝したレスリングの渡辺長武(おさむ)氏(74)。20年東京五輪を目指す選手と日本のスポーツ界に、強烈なエールを送った。【聞き手・荻島弘一、田口潤】

 ─五輪本番の思い出は

 渡辺 開会式の入場行進ですね。日本選手は身長順で、一番後ろが最も低い私と三宅さんだった。

 三宅 オレは競技だね。プレスとスナッチとジャークで3回ずつ、全部成功。ローマの時は1回ずつだったのに。「軽いな」と思ったのは、あの時だけだね。

 渡辺 私は決勝戦。そこまで簡単に勝ったけれど、さすがに慎重になった。負けられないからね。

 ─金メダルを取った瞬間は何を考えましたか

 三宅 ホッとした。自由になる。腹いっぱい飯が食える、ってね。

 渡辺 私は、これで酒が飲めるなと(笑い)。

 ─それまでの生活と変わりましたか

 三宅 背中に金メダルがいつもあるから。金メダリストとして自覚しなければいけなくなった。自衛隊の体育学校にいたしね。

 渡辺 私も笹原さんから自衛隊に入れと言われたんだけど、石井さんが電通へと言ってくれて。11月1日に入社。会社では金メダルは関係ない。最初は毎朝早く行って掃除。自衛隊に行っていれば、競技も続けて次の大会でも金メダル取れたかも。

 ─三宅さんは今年、現役にも復帰しましたね

 三宅 マスターズに出たよ。金メダリストとして、子どもたちやファンに夢と希望を与えるのが仕事。20年の東京開催が決まり、何かやろうと思ってね。自分の一番好きなもの。下敷きになって死んでも、たいしたことはない(笑い)。

 渡辺 私もマスターズに出ようかな。

 三宅 いや、やったら足腰痛くて大変だよ。1週間ぐらいで治るかと思っていたら、ずっと痛い。ストレッチをやっておかないと、体が動かなくなるんだ。

 渡辺 私も腹筋は毎日500回やっている。レスリングの鍛え方は違いますからね。大 ─6年後には東京で再び五輪が行われます

 三宅 日本がなぜ選ばれたのか。なぜマドリードとイスタンブールに勝てたのか。世界の国々に与えられた宿題。この先100年つながる大会をやらないと。日本はもっと背伸びして、文化をアピールしていい。日本の良さを、世界に発信してほしい。

 渡辺 すぐですからね。6年なんか。私は「大和魂を世界に示したい」と思っていたけれど、今度も選手には武士道、大和魂を見せてほしい。大量の金メダルをとってほしいですね。

 三宅 もたもたしていたら、メダルなんか取れないよ。金と銀では天と地ほども差があるんだから。

 ─20年五輪を目指す選手にエールをお願いします

 三宅 自分を信じて、継続的に努力すること。科学的なトレーニングなんて、基礎体力がなければ意味がない。野性的な練習だね。

 渡辺 野性は大切。私は北海道で熊に追いかけられた。熊が出るところでないと、ヤマブドウはおいしくないから。見つかったら逃げる。死んだふりなんかダメ。逃げて鍛えられた。

 三宅 木から木に飛び移るとか大事だよ。呼吸法だよ。そういうのを積んで、初めて力が出せる。科学なんかに頼るなと言いたい。

 渡辺 人の100倍は無理でも、50倍ぐらいは努力しないと。レスリングは金メダルを10個取ると言っているし。1番になることにまい進してほしいですね。

 三宅 オレは体ボロボロだけど、6年後は楽しみにしているからね。

 渡辺 もう1度、あの大会が自分の目で見られるなんて、私も頑張らないと。

 ◆渡辺長武(わたなべ・おさむ)1940年(昭15)10月21日、北海道和寒町生まれ。北海道・士別高でレスリングを始め、中大に進学。61年の欧州遠征以来国内外負けなしで、62、63年世界選手権も連覇。強さから「アニマル」、技の正確さから「スイス時計」の異名をとり、186連勝はギネス記録となった。引退後は電通勤務。退職後の87年には復帰してソウル五輪出場を目指し、その後もマスターズなどで活躍した。

 ◆三宅義信(みやけ・よしのぶ)1939年(昭14)11月24日、宮城県村田町生まれ。宮城・大河原商2年で重量挙げを始め、法大3年の60年ローマ五輪銀メダル。卒業後は自衛隊体育学校の1期生として入隊する。64年東京、68年メキシコと五輪連続金メダル、72年ミュンヘン五輪4位。引退後は自衛隊体育学校長などを歴任、現在は東京国際大監督を務める。メキシコ五輪銅の義行は実弟、ロンドン五輪銀の宏実はめい。


(2014年10月22日付本紙掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。