サッカー界とマラソン界のレジェンドが、東京五輪でのマラソン復活への道を語り合った。日本代表監督として2度のW杯を戦った日本サッカー協会の岡田武史副会長(60)は代表強化のヒントを、日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダー(60)に示した。プライベートでも酒を酌み交わす早大の同期2人が、軽妙トークを展開した。【取材・構成=荻島弘一、木下淳、上田悠太】

東京五輪に向けて意見を交わす瀬古利彦氏(左)と岡田武史氏-3
東京五輪に向けて意見を交わす瀬古利彦氏(左)と岡田武史氏-3

■早大同期 日本サッカー協会副会長×強化戦略プロジェクトリーダー

 対談はコミカルに幕開けした。

 岡田氏 元気か。陸連戻ったの?

 瀬古氏 会議で忙しいよ。リーダーだもん。

 岡田氏 お前が !?  やばいだろ(笑い)。

 瀬古氏 最後の持ち玉だったんだって。今の陸連で面識あるのは伊東浩司強化委員長ぐらい?

 岡田氏 朝原宣治さんも知ってるよ。(昨年10月に死去した)平尾誠二さんの「感謝の集い」でも会った。俺らは絶対やってもらえない会。

 瀬古氏 あなたはやってもらえるよ。

 ともに早大を80年に卒業した同期。瀬古氏は、岡田氏が日本代表監督として参戦した10年W杯南アフリカ大会にも現地へ応援に行ったという。今でこそプライベートで酒を酌み交わす仲だが…。

 瀬古氏 学生の頃は岡ちゃんを知らなかった。

 岡田氏 学生の頃なんて、誰も知らないでしょ。瀬古は俺にとってはヒーローで修行僧。98年フランスW杯の後。山下(泰裕)、富(山英明)とかの忘年会で初めて会った時は、こんな人とは思わなくて、がっかりした(笑い)。

 普段は3年半後に迫った東京五輪に関して、語り合うことはないという。ただし、ビジョンはある。

 瀬古氏 男子マラソンは最終種目。マラソンだけは8万人が入る閉会式の中で表彰式をやる。64年の東京五輪で円谷さんが銅メダルを取って、日本人は勇気づけられた。やっぱりマラソンは違うなと。リオ五輪は惨敗。このままいったら、浮上しない気がして…。俺も陸連から誘いが届いた時「やばいな」と受けるか悩んだけど、東京五輪のマラソン強化を引き受けないのは非国民だと思って。若手、監督、コーチの意識をうまく変えないといけない。

 岡田氏 どんな感じなの?

 瀬古氏 日本人で1位ならいいやと。最初からケニアには勝てないと思っている選手が多い。力の差があるのは、しょうがないけど、勝つ努力を諦めている。

 2人に共通する強い日本代表の第1歩は「意識改革」。岡田氏は98年フランス大会でW杯初出場に導き10年南アフリカ大会でもベスト16に進出。日本サッカー界の意識を世界で勝つことに向けた1人だ。

 岡田氏 98年W杯のアルゼンチン(0―1)との試合は、テレビで見てる選手がいるという感じ。ベロンだ、バティストゥータだ、サインをもらいに行きそうな雰囲気だった。平常心で臨ませるのに苦労した。その後、少しずつ意識が変わり始めた。10年は意識が変わることで、結果につながった実感があった。よく言われたのが「日本人は個では勝てないから組織で勝つ」。でも(メンタル面のサポートを受けた)体操の白石豊先生に「体操は個で20年間世界一です」と言われた。最初から勝てないと決めるのではなく、どうやったら勝てるか、対等にできるかやろうと。体幹トレーニングをして「球際で勝つ」。チームの走行量が10キロ増えたら、走行量が1人分増える。「1人1キロ多く走る」。あと「中距離パスの精度」。この3つポイントを挙げ、これが世界と対等になれば、日本は組織力で絶対勝てると意識を変えて臨めた。

東京五輪に向けて意見を交わす瀬古利彦氏(左)と岡田武史氏-4
東京五輪に向けて意見を交わす瀬古利彦氏(左)と岡田武史氏-4

■出てこい2時間5分

 では意識を変える方法は?

 岡田氏 明確な目標を持たさないといけない。「ベスト4」と言った。ずっと問いかけて、手紙も書いた。全員にA4の紙を配り、一番上に「W杯ベスト4」と書かせた。日本がどんなチームにならないといけないか、チームでどういう役割を担えるか、その役割をパーフェクトにこなすために、どう変わらないといけないか、半年、1年後にどうなっていないといけないか。1週間後、今日、何をやらないといけないかまで落とし込んだ。(紙は)出させなかったけど、本気になって、ベスト4を目指さないかと問い続けた。

 瀬古氏 マラソンもそうだよな。残り3年。今やらないと東京五輪に間に合わない。合宿で僕らの考えを伝えたい。選手に「1年後」「2年後」と「こんな選手になっていたい」と書かせたい。今はケニアやエチオピアの選手と4、5分違う。日本は2時間8分台なのに、アフリカ勢は2時間3分。それを埋めるのは大変だけど、2時間5分で走れる素質のある若手はいると思う。そうなれば世界と戦える。そこまで早くいかせてあげたい。でも我々は過去の人と思われている。

 岡田氏 昔は俺たちも「古いやつがあんな古いこと言ってる」と言ってたやん(笑い)。今の子は、理屈で理解しないと。何で目標がベスト4だったか。02年日韓W杯で韓国がベスト4入った。「あの時のチームとそんなに差があるか? 俺らだって可能じゃないか」と。

 瀬古氏 マラソンは技術があってないような古い競技でしょ。はだしで走ってるケニアの子供を見たら、勝てないと思わされる。自転車、エスカレーターとかエレベーターとか乗らないで、小さい時からマラソンをやっている。歩いて足を作っている。それが古いのか。みんな100キロ走は古いとか言うんだよ。ホテルでも5階ぐらいなら階段でいかなきゃ。

 岡田氏 1つ言えるのは日本人が世界で勝ってきた時にはバレーボールにしても体操にしても、他がやっていないことをやった。企業もそうで新技術。瀬古が言うに同じことはやっちゃだめ。発想の転換をしないと。後ろ向きで走るとか(笑い)。

 瀬古氏 それも1つの手だけどね(笑い)。

 岡田氏 マラソンで初めてのチームプレーとか変わったことをしようよ。3人でグルでやるのはない? 自転車競技で、風よけを交代させているように。

 瀬古氏 マラソンは個人だから、チームプレーなかなかないな~。

 日本陸連の立場として覚悟が大きい分、重圧もある。瀬古氏はやんわりと問いかけた。

 瀬古氏 プレッシャーの避け方とかさ。

 岡田氏 お前のか? 俺は監督になって新聞も雑誌も読まなかった。もともとはテレビ見ない。外国人監督になる。

 瀬古氏 何で見ないの?

 岡田氏 世界中の誰より、代表チームがどうしたら勝つか考えている自信あるから。勝った時に見ようかなと思うけど、いい時だけ見るのはひきょうだなと思って一切見ない。今でも読まない。

 瀬古氏 ネットは悪口ばっかりだもんね。岡ちゃんめちゃくちゃ言われているからね。

 岡田氏 本当?(笑い) いつものこと。慣れている。

 瀬古氏 でも気になっちゃう。選手の時は気になって新聞を買いに行っていた。1面に出るってそうはないから。

 岡田氏 俺なんか、しょっちゅう1面に出されたよ。負けるたび。

 瀬古氏 負けて1面に出るってすごいよ。

 マラソンの選手選考は物議を醸すこともしばしば。

 岡田氏 俺が基準と言っちゃえよ(笑い)。

 瀬古氏 最後は選手を決めるけど、それは言えないよ。男子マラソンで2時間5分台が出れば、文句を言わない。早く出してくれ !

 ◆岡田武史(おかだ・たけし) 1956年(昭31)8月25日、香川県生まれ。大阪・天王寺高から1浪後の76年、早大政治経済学部入学。古河電工(現J2千葉)に入り、DFとして日本代表で国際Aマッチ24試合1得点。90年引退。94年11月に日本代表コーチに就任し、97年10月に監督昇格。98年W杯は1次リーグ敗退。札幌、横浜の監督を経て07年11月に日本代表監督再任。10年W杯16強。11年末から13年まで中国・杭州緑城を指揮。14年11月にFC今治オーナーに。16年4月から日本協会副会長。

 ◆瀬古利彦(せこ・としひこ) 1956年(昭31)7月15日、三重・桑名市生まれ。四日市工高時代は総体800メートル優勝。1浪後の76年に早大に入学し、中村監督の勧めでマラソン転向。箱根駅伝は4年連続2区で活躍。80年モスクワ五輪代表も日本のボイコットで不参加。84年ロス五輪14位、88年ソウル五輪9位。福岡国際3連覇などマラソン15戦10勝。引退後はエスビー食品陸上部監督を経て、13年4月からDeNAランニングクラブ総監督。16年11月から日本陸連のマラソン強化戦略プロジェクトリーダー。

(2017年3月22日付本紙掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。