日本が生んだ世界のスポーツ、ケイリン。2020年東京五輪で3大会ぶりメダル獲得の切り札として、日本自転車競技連盟は昨年10月に「メダル請負人」を招請、ブノワ・ベトゥ氏(44)が短距離ヘッドコーチ(HC)に就任した。新体制で1年がたち、代表候補選手の実力アップが本職である競輪の結果にも出始めている。本紙評論家で同連盟強化委員長の中野浩一氏(62)と五輪会場の伊豆ベロドロームで対談し、熱意を語った。【取材、構成・山本幸史】


ブノア日本代表短距離ヘッドコーチ(右)と握手する中野日本自転車競技連盟強化委長(撮影・鈴木正人)
ブノア日本代表短距離ヘッドコーチ(右)と握手する中野日本自転車競技連盟強化委長(撮影・鈴木正人)

 ──現体制から1年あまり。昨季はアジア選手権ケイリンの金、銀メダル獲得があった。ここまでの手応えは

 中野 順調だね。今は選手も信頼し結果も出ている。普段のトレーニングに加え、精神面のアドバイスも効果的だと思う。

 ブノワ 私は成功するために日本に来た。毎日トレーニングを課す時も不安な気持ちは一切ない。それに、中野さんが強化委員長になったのも大きい。日本で唯一の、真のチャンピオンだからだ。チームをリードしてくれるのはすごくありがたい。

 中野 どうもありがとう(笑い)。

 ブノワ 昨季の世界選手権は結果が出なかったが、精神的な準備不足で、能力の問題ではない。たとえば小林優香には毎日驚かされる。想定より早い進歩だ。昨年12月、200メートルで11秒96のタイムに悔し涙を流していた。私は「あと6カ月あれば変わる」と言った。彼女は毎日壁に直面したが、ついに壁を越えた(10月に自己記録を1秒近く更新する200メートル11秒049をマーク)。女子選手を多く見てきたが、あの精神的な耐久力の持ち主は、世界でも3~4人だろう。


 ──HC就任会見では「日本のメソッド(方式)は古い」という発言もあった。なぜ日本は遅れてしまったのか

 ブノワ トレーニング方法、仕組みや内容が時代遅れだと思った。それに、科学的な分析が15年くらい遅れていると感じた。

 中野 過去に結果を出していたときから何も進まなかった。むしろ世界の方が加速度的に変わっていったと思う。1つには機材の変化。トラックが屋内の、木製250メートルに変わり、自転車もカーボンフレームになった。屋外だった私の時代、今の機材だと風にあおられたら一発で止まってしまう。日本には競輪があるから、どうしても競輪中心になってしまうのは仕方がないと思うが。


 ──就任後、トレーニングはどう変わったのか

 ブノワ よくトレーニングやプログラムが注目されるが、背景にある信頼や熱意がなければプログラム自体に意味はない。毎日8時間一緒にいれば、表面の付き合いじゃないとわかってもらえたと思う。

 中野 強くしてあげたい人と、強くなりたい人が強い思いを持てば自然と向く方向は同じになる。それが成果を生むということ。

 ブノワ 今、競輪に来ている外国人選手と一緒に練習させているのも刺激になったと思う。私は日本人選手のためのトレーニングとして、彼らを利用している。世界王者やメダリストと接することで自然とレベルが上がり「能力はそんなに劣っていないのでは」という自覚が生まれた。簡単に言えば「夢」が「目標」に変わったのだ。

 中野 あれだけ強い選手が身近にいるのは貴重で、日本選手にとってもいいこと。時間はかかったが結果が顕著に表れてきた。それこそ、周りの競輪選手たちがうらやむくらいにね。

 ブノワ 今、競輪の賞金ランク1位は新田祐大。彼とは当初難しい関係だった。「私と一緒にやるか、全く練習を見ないかだ。でも、絶対に競輪の成績は上がる」と説明した(11月26日の競輪祭で今年G1 2勝目)。今は疑問なしについてきてくれる。できないと思ったら私は約束しない。


 ──短距離トラック種目のメダルは08年北京五輪から遠ざかっている。東京五輪まであと3年。手応えは

 中野 せっかく東京で五輪があるので、なんとか結果を、と思っている。自国で五輪があること自体、幸せだと思う。俺の現役の時にあればな…(笑い)。

 ブノワ 選手のキャリアの中で、自国の五輪を走れるのは1回あるかないか。自国の五輪に出ることは忘れられない出来事になる。

 ──メダルへの自信は

 ブノワ そのために来たと言ったでしょ? 私はエネルギーを節約したことはない。なぜなら五輪のメダルがほしいから。世界選手権で優勝したとしても、逆に五輪まで成績が出ていなくても、目標はぶれない。当日まで希望を持ち続け、メダルのために戦うだけ。今はみんなが成長してきたが壁にぶつかることもある。その時、支援がしっかりしていれば必ず強くなる。日本のみなさんの支援が必要になってきます。

 中野 期待してください。


 ◆中野浩一(なかの・こういち)1955年(昭30)11月14日、福岡県生まれ。競輪学校35期生として75年5月デビュー。80年に日本プロスポーツ選手初の年間獲得賞金1億円を突破。GP、G1優勝12回。77年から86年まで世界選手権スプリント10連覇。「ミスター競輪」「世界のナカノ」と呼ばれた。06年春に紫綬褒章を受章。昨年10月から日本自転車競技連盟強化委員長。


 ◆ブノワ・ベトゥ 1973年10月29日生まれ。フランス・イエール出身。90年代にフランス代表として世界選手権チームスプリント銀メダルの他、東京開催を含むW杯スプリント優勝6回。コーチとしてはフランス、ロシア、中国を指導。リオ五輪中国女子チームスプリント金メダルをはじめ、北京五輪以降3大会でメダル5個、世界選手権でのメダル30個に導く。家族は妻、2子。



<小林優香「最初は大嫌い」今は絶大な信頼>

 ガールズケイリンでグランプリ優勝経験もある小林優香(23)は、ブノワ体制で最も成長している選手だ。東京五輪を目指し、地元九州から現在はベロドロームのある静岡・伊豆市に練習拠点を移した。10キロ以上の減量と肉体改造で、今夏米国での国際大会のケイリンで初優勝。「最初はブノワは大嫌いでした。練習も厳しくて…。でも今は違う。タイムも出ているし、この人を信じよう、と思えます。何でも話せます」と絶大な信頼を寄せている。


<渡辺一成「効果全然違う」フルタイム指導>

 北京、ロンドン、リオ五輪3大会に出場し、ブノワ体制でも指導を受ける渡辺一成(34)は「監督、コーチと選手が伊豆に拠点を置いてフルタイムで指導してくれるのは初めて。従来は代表合宿でしか指導されなかった。それに練習による効果の答えをはっきり示してくれる。『こうなると思う』じゃなく『これをやればこうなる』と断言できる人」と語る。

 トレーニングの変化については「目新しさやスペシャルなことはしていない」としつつ「同じ100メートルダッシュでも前は数をこなすだけ。でも今は毎回ギアを変えたり、タイミングが違う。よく言われるウエートトレーニングも、毎回重りを変えたり。同じ練習でも練習の中身を精査して行うところが違う。ピラミッドを積み上げていくイメージ。だから表面だけまねしても、効果は全然違うんです。慣れるまでは難しかったけど、今では目に見えて成果を期待できる」と語った。自身も競輪では今年はG12冠(オールスター、寬仁親王牌)でキャリアベストの成績を収め、ブノワHCの教えでさらなる進化を遂げている。