2018年は2月の平昌五輪、7月のサッカーW杯などアスリートの活躍に彩られた一方で、多くの競技団体で不祥事が起きた1年だった。アメリカンフットボールの悪質タックル問題、アマチュアボクシング界の独裁体制とその崩壊、体操のパワハラ騒動など。なぜスポーツ界でこれだけ問題が多発したのか? 五輪に3度出場した元陸上選手の為末大氏(40)に、その考察と20年東京五輪への提言を聞いた。【聞き手・佐藤隆志、阿部健吾】


●隔絶された世界

-まず、多くの不祥事が表面化した背景には何があると思われますか?

為末 世界的にハラスメントにセンシティブ(敏感)になっていて、それはSNSの影響が大きい。「#MeToo」(注1)の流れも同じで、大きな力に虐げられてきた側が対抗する手段が昔はなかったのが、SNSを通じて人を瞬時に集められるために影響力が出てきた。少数派、弱い立場の人間が社会の在り方を変えることができるんだと認識した。ただ、これらはもろ刃の剣でいったん流れができるといつ止まるか分からない側面もある。

スポーツ界は世間から疎く、対応次第ではあっという間に問題が大きくなるような今の世の中の変化に気付かなかった。特に意思決定層には単純にSNSをやっている人がすごく少ない。SNSの潮流があり、「世の中このように変わるのか」という議論があちこちでされている時に、スポーツ界に身を置く人はネットにタッチしないので動きがよく分からず、いきなり世の中から注目を浴びて戸惑っているのが現状では。

だから、事後対応がすごく無防備で、あからさまにしゃべってしまったり、メールで書いてしまったりする。会社に勤めていてそれなりに身を守る意識があれば、表面上は取り繕う。その振る舞いすらなく無防備で対応していたところに世間との隔絶を感じる。

-20年東京五輪があり、余計に関心が集まった側面も感じます

為末 今から数年は良いことも悪いことも大きく出るので先に問題があれば改善しておきましょう的な話もされていなかったのでは。

●おやじとズレ

-世間に疎くなる原因は?

為末 まず決算発表のような場がない。会社組織ならば結果が出て発表し、問題があれば改善を迫られるが、スポーツ界は五輪でのメダル数ぐらいしか指標がない。実際には脆弱(ぜいじゃく)な体制の協会も少なくないがそれが知られていない。もう1つは人材の流動性で、そのスポーツの出身者ばかりで構成され、極端に人の動きが少ないので権力が集中する。本人に悪気がある場合もない場合もあると思うが、権力が集約されやすい。簡単に言えばガバナンス(統治体制)ができていない。

副業が解禁され、転職も日常になり、企業も変わらないと生き残れない焦りとか必死さでみなが頑張っている中、2020年まで補助金も減るどころかむしろ増えているような状況。世間の荒波にさらされておらず、選手は戦っているが、スポーツ界は全体としてはそんなに焦ってないし、戦ってないですよね。

-悪気のない権力集中は、自覚がないだけに強固です

為末 これは一昔前の日本の会社組織と共通ですが、家族主義的な価値観があり、人間関係の方が役割に基づく権限よりも強く機能している。スキルがあるからではなくて、まず組織の中に入れて同じ時間を過ごし、旅行や飲み会などで一体となり、あうんの呼吸でルールも少ない。「そういうもんでしょ、おれたちの常識は」という空気を醸成して戦うやり方だった。自分の利益より、組織の利益を優先し一体感が醸成される強さもあったが、変化に弱く、時間がたてば閉鎖的なムラ化する。

-確かに日本ボクシング連盟の山根明前会長は、競技、選手への愛を訴え続け、人間関係を強調していました

為末 でも、あの空気に懐かしさを覚える人は結構いると思う。「俺とお前はおやじと息子だ」みたいな。だから全部嫌悪感があるのではなく、ちょっとした温かさを感じた人もいたはず。近所にああいうおやじがいたとか。でも、社会はグローバル化してとうの昔にそういうことは許されなくなっていて、そのズレが表れてますよね。そのズレです。

相撲にも感じますけど、日本的な一体感の作り方は、ボスがおやじになっていく感じですね。反対することはおろか説明を求めることすら、子供がおやじに逆らったという認識になる。だけど、何も言わずについて行けば、おやじは子供の世話を見てくれる。「お前ら何も言うな」「ちゃんとおれの背中について来い」と。そこにある世代以上はシンパシーもあって、社会的にも微妙な空気があると感じる。

●火の消し方

-山根前会長の携帯の着信音は「ゴッドファーザー」(注2)の曲です。マフィアを描いた映画ですが、テーマは家族愛でした

為末 体操問題(注3)もですが、その人たちが納得していてもダメなケースが多かったですね。世間の常識の方がムラの常識より強い。社会的に許されませんというロジックに、俺たちがいいからいいんだという反論をしているので、議論がかみ合わない。だから火の消し方が分からないんだと思います。

-スポーツ庁などの統括団体による強制力を強めた方がいいとの論調もあります

為末 ただ、それもスポーツ的ですよね。結局、上の偉い人が収めるんだなと。ボトムアップで自浄能力を働かせる方向にはできないのかと。ここのおやじではだめなので、もう1つ上のおやじに収めてもらうみたいな。根底にあるトップダウン文化は同じ。

世の中はどちらかというと組織内で自浄能力を発揮する方が多い。スポーツの競技団体では、理事会がどれだけ機能しているのか。会長を解任できるのは理事だけです。だから大事なのは理事の3分の1を外部の人にして、彼らに投票権を持たせてけん制を利かせることだと思います。

-自浄作用は重要ですが、鎮火のビジョンもない現状では火を付け放題な側面もあると感じます。問題があれば、着火して待てば良いのか、それが幸せな競技環境なのか疑問です

為末 確かに選手の告発が段々、魔女狩りというか、追い落としに使われている側面もある。だから私は本当は選手会が存在していなければならないと思う。そう考えると選手の方にも自浄作用がないともいえる。選手側から組織にけん制を利かせる手法が使えていない。本当は対等な関係でないといけない時に、下の人が下で居続ける感覚も変えないと。たかが選手が、という空気感なのかもしれないですけど、そうだとしても協会も指導者も選手もどの立場であれ、スポーツを良くしましょうと提案があるのは自然なことです。

●選手会こそレガシー

-19年はラグビーW杯、そして東京五輪前年になります。18年の流れを踏まえ、何が求められますか?

為末 1つは協会、連盟の人はSNSのアカウントを作った方が良い。世の中がどう動いているか、多少タッチした方が良い。社会は既に多様化していて、日本語も翻訳されてすぐ海外に伝わる。そうすると背中で語る手法が難しく、明文化しないと矛盾が出てくると分かる。あとはなるべく理事の中に外の人間を入れる。悪気があって今の体制を保っているというより、指摘されて問題に気づいているというのが正直なところでは。問題点を指摘してもらい、20年に向けて変えていきましょうでもいい。

そして選手は自立して(協会と)対等に話をすることです。20年までに全部のスポーツに選手会ができたら、それが一番良いレガシーだと思ってます。現状あることはあるが、競技団体の財源でやっていたり、独立性がなかったりする。逆に選手会があることで、魔女狩り的な選手の抑制もできる。「それはお前個人の問題じゃないのか」と選手同士で指摘できる。バスケットボールの問題(注4)は若干、選手会が責任を取る案件ではと思う。協会側も楽になる話ですよね、今は何でもかんでも協会が責任を取らないといけなくなっているのでは。選手教育の責任はどちらがどれくらい持つのかという話になります。

そこまで進めば自立的ですね。今の若い選手は僕らの頃よりビジョンがあって素晴らしいので、できるんじゃないかな。

◆為末大(ためすえ・だい)1978年(昭53)5月3日、広島市生まれ。広島皆実高-法大。男子400メートル障害で世界選手権2度(01年、05年)銅メダル。五輪は00年シドニー、04年アテネ、08年北京と3大会連続で出場した。自己ベストの47秒89は現在も日本記録。現在は実業家として社会イベントを主宰する傍ら講演活動、著述業、テレビのコメンテーターなどマルチな才能を発揮。Jリーグ理事(非常勤)。本紙でもコラム「爲末大学」を執筆する。


〈注1〉「私も」のハッシュタグ(#)をSNSに付け、セクハラや性的暴行の被害者が告発。被害撲滅を訴え、一大ムーブメントが起きた。

〈注2〉1972年公開の米国映画。マフィア映画だが、家族の愛と悲劇を描いた。

〈注3〉暴力指導を受けた選手が、コーチの処分軽減を求める一方で日本体操協会幹部のパワハラを主張。今月発表された第三者委員会の調査結果でパワハラは認定されなかった。

〈注4〉ジャカルタでのアジア大会開催中、バスケットボール代表選手が買春行為。日本協会は謝罪会見を開き、選手は1年間の出場停止処分に。


2018年スポーツ界の主な不祥事

◆カヌー(1月) 鈴木康大がライバル選手の飲み物に薬物混入させ、ドーピング違反を誘発していたことが発覚した。

◆レスリング(1月) 五輪4連覇中の伊調馨にパワハラしたとして栄和人氏が告発される。

◆バドミントン(4月) 再春館製薬が今井彰宏元監督の金銭的不正行為を明かし、日本協会に告発状を提出。

◆アメリカンフットボール(5月) 日大の選手が関学大との定期戦で危険なタックルを見舞う。当該選手が会見し、当時の内田正人監督や井上奨コーチからの指示だと明かした。

◆居合道(6月) 称号認定審査で金銭授受問題が発覚。

◆ボクシング(7月) 日本連盟の山根明会長が助成金不正流用を告発され、暴力団との接点も明かされる。

◆体操(8月) 暴力行為で速水佑斗コーチが無期限登録抹消に。暴力を受けた宮川紗江が処分の軽減を求めて会見し、協会の塚原光男副会長と塚原千恵子強化本部長によるパワハラを主張した。

◆バスケットボール(8月) アジア大会が行われたジャカルタで男子代表4選手が、ユニホームを着たまま買春。

◆駅伝(9月) 日体大陸上部駅伝ブロックの渡辺正昭監督が、部員に対する暴力やパワーハラスメント行為で解任された。

◆サッカー(10月) U-17女子日本代表の楠瀬直木監督が女性職員へのセクハラ行為で辞任した。


<取材後記>

■報道にも影響する「SNS負の側面」

SNSによる社会の変化、そこに対する知見の狭さが各協会の奇異にも映る対応を生む。為末氏の指摘を聞きながら、同時にSNSの負の側面、その「速さ」の怖さも思った。

7月から8月にかけて日本ボクシング連盟に起きた助成金不正受給、不正判定疑惑などを取材した。山根明前会長の個性際立つキャラクターが世間の関心をあおり、騒動が表面化した後の岐阜県の高校総体会場には多くの報道陣が詰め掛けた。連盟幹部への囲み取材などが頻発し、それが映像、文字情報としてSNSの波に乗る。質問に正確に答えられない幹部、判定への疑問を訴える指導者など。それはすぐに消費され、次の情報を求めるべく、関係者に取材を続ける。そしてまたSNSで拡散する。その速度は非常に速い。

渦中にいた者として自戒も込めて振り返れば、そこには立ち止まる冷静さを欠いていた部分もあった。押し寄せる「流れ」に巻き込まれ、丁寧な取材ができたか反省がある。すぐに一方が善で、一方が悪という二項対立が作られ、そこから1歩引いて考えることが難しかった。

果たしてどちらかが完全悪なのか。「選手会こそレガシー」という提言を聞き、健全な組織の在り方と、その組織への報道体制についても考えさせられた。【阿部健吾】