カヌーの艇、卓球のラケット、投てきのハンマー、アーチェリーの弓具。選手にとって競技で使用する道具は欠かせないパートナーであり、ときには体の一部ともなる。新型コロナウイルスの影響で東京オリンピック(五輪)は1年延期となったが、逆風を乗り越え、アスリートを支え続ける国産メーカーの技術力の高さに迫る。

本業はレーシングカー開発 ムーンクラフト

F1をはじめ世界のサーキットで培われた技術が、そのカヌー艇に注入されている。カヌー・スラローム男子カヤックシングルで東京五輪代表に内定している足立和也(29=山口県体協)が乗るのは、欧州製が主流である競技では希少な日本製。レーシングカーの開発・設計を手掛けるムーンクラフト(本社・静岡)によって製造された。

ムーンクラフトの由良拓也社長
ムーンクラフトの由良拓也社長

同社の由良拓也社長(69)は、設計を手掛けたマシンが83年のル・マン24時間耐久レースで日本車初のクラス優勝を果たすなど、数々の実績を残してきた。ネスカフェのテレビCMに「違いのわかる男」として出演したこともある。そんな彼の元に1通のメールが届いたのが16年暮れのこと。差出人は、足立を指導する市場大樹コーチ。レースファンの市場コーチは、F1と同じカーボンファイバー素材がカヌー艇にも使われていることに着目し、たっての願いで由良社長にコンタクトを取った。

ひとまず話だけでも聞いてみよう。そんな気持ちで市場コーチと足立の2人と面談した由良社長だが「深追いすると、とんでもないことになっちゃいそうだなと(笑い)」。いったんは断りを入れたものの、市場コーチはあきらめてくれなかった。2年後、熱意にほだされるような形で「1つだけ作ってみるか」と受諾。欧州で流通している艇を分析、模倣し、約3カ月で1号艇が完成したが、その重さは約10キロ。本来なら規定の9キロぎりぎりの数字が求められるだけに「レベルが低くてダメを出された」。

このままでは引き下がれない。プライドをかけて製作した2号艇は、製作工程を抜本的に見直した。既製品の模倣はやめ「カヌーを1からつくることにした」。この際、強度と軽さを両立させるために採用されたのが、ハニカム(蜂の巣状)構造の心材をカーボンで挟んだ特殊素材。レーシングカーのみならず、航空機にも用いられている。19年4月、届いたばかりの2号艇で選考レースに臨んだ足立は、乗り慣れていないはずのそのカヌーで、鮮やかに優勝を果たした。

五輪代表・足立のカヌーの素材
五輪代表・足立のカヌーの素材

その後もハイペースで改良が進んだ。足立の要望に応じて1ミリ単位の調整が行われた。さらに由良社長自らがスポンサー探しに奔走し、開発資金づくりでも全面的に支援。昨年10月の五輪最終選考レース時には、5号艇にバージョンアップしていた。足立は「ボディーが硬いから、水の流れの情報を素早く把握できる」と絶賛。東京五輪本番に向け、さらに完成度を高めた6号艇で練習に励んでいたが、コロナ禍によって1年延期になった。

新型コロナ感染拡大による影響はカーレースの世界においても甚大だったが、由良社長は「僕たちはやれることをするだけ」。その言葉通り、8月のスーパーGTシリーズではエンジニアリングをサポートするシンティアム・アップル・ロータスが初優勝を遂げた。カヌーもさらに進化を続け、今月末には最新の7号艇が足立のもとに届く予定。来夏に向け、8号艇の投入も視野にある。

長年にわたってサーキットを主戦場としてきた由良社長の目には、水上を舞台とするカヌーの世界が新鮮に感じている。「モータースポーツでは、もうあまりドキドキはしない。でもカヌーは胸が高鳴りますね。懐かしい感覚だなあ」。21年夏を心待ちにしている。【奥岡幹浩】

ムーンクラフト製のカヌー艇を抱える東京五輪男子スラローム代表の足立(ムーンクラフト提供)
ムーンクラフト製のカヌー艇を抱える東京五輪男子スラローム代表の足立(ムーンクラフト提供)

<選手コーチの声>

▼足立 あと1ミリ薄くして欲しいといった要望にも正確かつ迅速に対応していただいている。自分のためだけにつくってもらっている大切な艇。これがなければ戦えない。

▼市場コーチ 足立がW杯で3位になったとき、このタイミングしかないとお願いした。従来品とは一線を画す艇を提供していただき、可能性を切り開いてもらっている。これなら世界に勝てるのではという思いが強くなってきた。

◆ムーンクラフト 1975年創設。本社・静岡県御殿場市。レーシングカーのデザイン、開発設計、製作や、風洞実験による空力実験・開発などを行う。由良拓也社長は国内を代表するレーシングカー・デザイナーで、国内外におけるさまざまなマシンのデザイン・制作を手がけてきた。テレビ中継のレース解説も務める。

創業100周年 卓球老舗メーカー ニッタク

“みまパンチ”の異名を取る力強いスマッシュは、創業100周年を迎えた老舗メーカーのラケットから放たれる。

卓球女子で東京五輪代表の伊藤美誠(19=スターツ)が、小学1年のころから愛用しているラケットが「アコースティック」や「アコースティックカーボン」と呼ばれるモデル。卓球メーカーのニッタク(本社・東京)が開発した弦楽器シリーズの1つだ。

卓球女子東京五輪代表の伊藤美誠(19年11月10日撮影)
卓球女子東京五輪代表の伊藤美誠(19年11月10日撮影)

企画開発部の松井潤一部長(43)は「7歳だった彼女のため、通常より小ぶりの特注モデルを使ってもらった記録が残っている」。小学校に入ったばかりの選手への対応としては極めて異例だが、「当時から彼女の才能を高く評価し、よい商品を提供することで長く活躍をサポートしていきたい。そんな思いが会社としてあったのでは」(松井部長)。

バイオリンなどの弦楽器は、木材同士の接着が強固でなければ、振動が安定せず美しい音色を奏でられない。そのため、水分の通り道である木の道管にまで浸透する特殊な接着剤が使われる。卓球のラケットも複数の木製素材から構成され、弦楽器シリーズと銘打たれたモデルには、まさにそれらの楽器をつくるのと同じ製造技術が取り入れられている。

ニッタク製卓球ラケット弦楽器シリーズの伊藤美誠モデル(手前)と、通常のアコースティックカーボンモデル
ニッタク製卓球ラケット弦楽器シリーズの伊藤美誠モデル(手前)と、通常のアコースティックカーボンモデル

改良を加え、バリエーションを広げながら、20年近いロングセラーとなっている同シリーズ。強い打球を繰り出せる“スイートスポット”が広いうえ、繊細なボールタッチも可能にしている。

来月21日には伊藤の20歳の誕生日に合わせ、特別デザインの「伊藤美誠モデル」が登場予定。紫を基調に白のラインを組み合わせたグリップ部分のカラーデザインは本人が監修した。コロナ禍で直接顔を合わせられないなかでも、しっかり意見を交換しながら完成に至った。来夏の東京五輪で伊藤が手にするのはきっと、メーカーの技術と愛情が詰まったその1本になるだろう。

ニッタク企画開発部の松井部長
ニッタク企画開発部の松井部長

◆日本卓球(ニッタク) 本社は東京都千代田区。1920年(大9)に「ハーター商会」として創業。47年7月に現在の社名に変更され、総合卓球メーカーとして事業を展開する。03年にラケット弦楽器シリーズの第1弾「バイオリン」、翌04年に第2弾「アコースティック」を販売開始。13年には「アコースティックカーボン」が登場した。

ハンマーなど国際大会で定番 ニシ・スポーツ

1951年(昭26)創業以来、数々の国際大会で採用されてきた陸上競技用器具などを手がけるニシ・スポーツ(本社・東京)の投てき用具には、長年支持される理由がある。より良い記録を目指す選手や競技関係者の思いに応える、きめ細かな製品作りだ。新型コロナウイルスで大会中止が相次ぎ、生の声を聞く機会は少なくなったが、来夏の東京五輪へ着々と準備している。

東京五輪では砲丸、ハンマー、円盤、やりが使われる予定。「投てき用具」での五輪大会採用となれば、96年アトランタから7大会連続となる。こだわるのは、競技者のパフォーマンスを最大限に引き出す製品開発だ。同社の滝沢烈さんは「選手らの声を用具に反映したいとの思いが強いです」と胸を張る。

砲丸の状態を確認する作業員たち(ニシ・スポーツ提供)
砲丸の状態を確認する作業員たち(ニシ・スポーツ提供)

ハンマー投げの場合、選手の手からハンマーの重心が遠ければ遠いほど強い遠心力が働き、飛距離向上につながる。そのために規定の範囲内でより小さな鉄球を開発して重心を遠くさせたり、鉄球自体の重心を数ミリ外側にずらしたり。4月にはハンドルとワイヤで計約19グラム軽量化した新ハンマーを開発した。

ただ、緊急事態宣言下では、千葉・船橋市内の生産工場が一時ストップ。生産計画の変更を余儀なくされた。それでも、来夏の東京五輪に向け、より良い物を作るため一切の妥協は許さない。滝沢さんは「多くの選手たちに使ってもらい、パフォーマンスアップする姿を目の当たりにしたいです」。熟練職人の手で1つ1つ最終チェックを通った用具が五輪会場に並ぶ日を待ちわびている。【平山連】

◆ニシ・スポーツ 1932年(昭7)ロサンゼルス五輪の陸上男子1600メートルリレーに出場した西貞一(故人)が51年に東京・新宿区で創業。陸上競技を社業の中核に据え、選手が使う用具から大会運営に関わる道具に至るまで、幅広く手掛ける専門メーカー。とりわけ投てき用具の評判は高く、世界陸連に認定され、多くの国際大会で使用されている。

競技愛好 社長の血が騒ぎ… 西川精機製作所

東京・江戸川区の町工場の技術が結集した純国産アーチェリー弓具が今春に完成したが、コロナ禍で商品を披露する機会がなくなっている。金属加工を手掛ける西川精機製作所の西川喜久社長中心に、持ち手部分の「ハンドル」を区内の町工場3社と作った。東京五輪・パラリンピックを見据え、国産製品の復活を狙ったが、国内展示会は相次いで中止に。社員一同で販路開拓に躍起だ。

町工場3社と製作した持ち手部分の「ハンドル」
町工場3社と製作した持ち手部分の「ハンドル」

西川社長によると、アーチェリー弓具の製造は現在、米国と韓国の2社が席巻している。国産メーカーは10年以上前に完全撤退。そんな状況を打開するべく挑んだ町工場の職人たち。部品の切削、表面処理、塗装、組み立てなどそれぞれの強みを生かした。弓なりにたわむ板ばねの「リム」とハンドルの接合部分に、独自技術を採用。矢を放つ時の振動を抑え、命中率の向上や身体への負担減が期待できるという。

「日本人の体格に特化した今までにない弓具ができた」と誇らしげに語る西川社長も、10年ほど前からアーチェリーを愛好している。競技にのめり込み用具にこだわるうちに、国産品が途絶えている状況を知った。職人の血が騒ぎ、製品作りにつながった。

製作した「ハンドル」を装着したアーチェリー弓具を持つ西川社長
製作した「ハンドル」を装着したアーチェリー弓具を持つ西川社長

コロナ禍でPRする機会は減ったものの、専門店に足を運んで商品を置いてもらったり、大学生らに使ってもらったりして露出度を増やそうとしている。将来は全部品を自社製で手掛けるようになり「使った選手が五輪でメダルを取ってほしいです」と新たな願望を見据えている。

◆西川精機製作所 東京・墨田区で1960年(昭35)創業。現在は東京・江戸川区に移転し、金属加工を営んでいる。切削、板金、溶接、その後の組み立てや据え付けまで一手で引き受ける総合的な技術力を強みとする。メッキ用の器具や医科学研究機器などの企画設計・製造に携わる。