どっちらけの幕切れだった。東京五輪・パラリンピック組織委会長の選考騒動のことだ。森喜朗氏の女性蔑視発言に端を発し、橋本聖子新会長誕生まで、そこにスポーツはなかった。日本のスポーツ界は自ら招致した東京五輪・パラリンピックの前で死んでいるように映る。

組織委の公式HPで役員、評議員、顧問会議の名簿を調べてみる。役員は総勢37人。評議員は6人、そして顧問会議は181人だ。役職が重なっている方もいるが、200人強が東京五輪・パラリンピックの実権を握っているのだ。

大まかに分類すると役員はスポーツ系が15人、政治系が11人、経済系が9人。評議員はスポーツ系、政治系が各3人。そして、顧問会議はスポーツ系が17人、政治系59人、経済系が91人だ。合計するとスポーツ系は35人、政治系73人、経済系100人となる。

基本原則は、スポーツは政治から独立するべき、だ。それをすべてに当てはめるほど、筆者も夢想主義ではない。しかし、役員、顧問会議のトップはすべて政経界。人数も圧倒的にスポーツ界は少ない。だからこそ、声を上げないと意思は伝わらない。

会長交代はスポーツ界の存在意義を訴える大きな機会だった。しかし、スポーツ界から何の声も上がらなかった。長いものに巻かれろと、多数意見に迎合し、政権や官邸の意向に従順するばかりだ。

それどころか新会長候補を選ぶ検討委員会を非公開にし、委員の非公表を望んだのが、東京五輪の契約主体、日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長だったというのでは“オチ”にもならない。

新国立競技場の計画変更、ロゴのデザイン模倣騒動、会長交代、そしてコロナ禍での開催延期。スポーツ、そして五輪やパラリンピックは、もっとわくわくし、楽しいものではなかったのか。

00年シドニー五輪。閉会式の最中、スタジアムに打ち上げられる花火を見ながら「終わった~」と疲弊していた。その隣で、他社の五輪経験が豊富な先輩記者が「名残惜しいねぇ」とほほ笑んだ。その時は、若さと疲れで苦笑いだったが、スポーツとは、そういうものであってほしい。【五輪担当 吉松忠弘】