ペンは剣よりも強し-。文章で表現される思想は、圧する武力に勝るという英国の戯曲の名セリフである。メディアが担うべき役割に関して、昨今の是非はともかく、文字が人に与える影響力は、現代においても変わらず大きい。

ある競技団体の複数のトップ選手宛てに封書が届いた。送り主は名前を伏せ、自称「看護師」。そこには「選手からオリンピックをやめるように言わないのか」「自分勝手すぎる」などと記されていたという。また競泳の池江璃花子も、自身のSNSに代表辞退を求めるメッセージが届いたことを明かしている。ともに読んだ時の苦しみと痛みを思うと、胸がふさがる。使い方次第でペン、そして親指まで、人の心を傷つけるには十分な“武器”と化す。まだまだ氷山の一角であり、表に出ていないことは幾多もあると想像がつく。

ある関係者が言っていた。「金メダルを取っても、今の状況で世間から喜ばれるのか。喜んでもらえないならば、こんなに悲しいことはない」。選手は結果を残せば、明るいニュースを届けられるはず。社会を元気にできるだろう。そう信じて、努力を続けている。ただ、世間の意見が分断している中、その信念は正しいのか揺らぐ時もある。代表として結果を求められる重圧だけでなく、自らでは解決できない葛藤も重なる。代表権を持っていても、その意義に悩む選手もいる。抱負を述べるだけでも、気を使うのだ。ただでさえ難しい精神状態にある。

人には主義、主張がある。五輪・パラリンピックの反対の意を述べるのは自由であり、それは何ら問題ない。コロナ禍で多くの人が活動を制限され、困難を強いられている中、さまざまな意見があるのは当然だ。ワクチン接種も始まったが、広く市民に行き渡るのは、まだ先の話となる。

とはいえ、五輪・パラリンピックに対する怒りのやいばを、罪なきアスリートに向けるのは許されるものではない。選手が開催可否を決められるものではなく、筋違いも甚だしい。それは想像力を欠く愚かな行為であり、言葉の暴力だ。

大会への嫌悪感を、アスリートにぶつけてはいけない-。その守られなければならない当たり前の大前提を、改めて強調したい。【五輪担当 上田悠太】