体操の技名は初の成功者の名前がつけられる。鉄棒に種目を絞り、東京オリンピック(五輪)の金メダルに挑む内村航平(32=ジョイカル)の肝となる大技がH難度の離れ技「ブレトシュナイダー」だ。由来はアンドレアス・ブレトシュナイダー(31)、ドイツ代表として世界のトップで戦い続けてきた鉄棒の雄は、自らを「クレージー」と称す。自身も五輪を目指す中、開発秘話や内村へのメッセージを聞いた。2回に分けた初回は、その技にフォーカスする。【取材・構成=阿部健吾】

20年11月、体操全日本選手権兼全日本種目別選手権の男子総合予選で、鉄棒でブレトシュナイダーを決める内村
20年11月、体操全日本選手権兼全日本種目別選手権の男子総合予選で、鉄棒でブレトシュナイダーを決める内村

高さ280センチ、金属の配合で硬さを調節された直径2・8センチの円柱型の鉄の棒をしならせ、反動で空中に身を投げ出す。落下とともに、再びバーをつかむ。その間に2回後方の宙返りをし、2回体をひねる。滞空時間は約1秒。目にも留まらぬ技術展開が詰まる。それが「ブレトシュナイダー」。その本家は“伝承”を大いに歓迎していた。

ブレトシュナイダー
ブレトシュナイダー

「もちろん、知っているよ! 世界最高の体操選手が自分の技を実施してくれているんだから」

20年夏、五輪2連覇中だった内村が、種目別の鉄棒に専念するという一報は、ドイツで聞いた。そして、「ブレトシュナイダー」を構成に組み込むことも。

「彼は私と同じ地獄を経験したでしょう。どれだけバーをつかめずに落下し、その背中をマットに打ち付け、立ち上がったのか」

先駆者ゆえ、困難を想像できる。地獄、そう挑戦の日々を表現した。

12年ロンドン五輪を逃したことが転機だったという。「ドイツ代表になるためには、今までにないことをしなければならない」。常に落下の危険と隣接する、未知なる領域。

コバチ(バーを越えながら後方かかえ込み 宙返り懸垂)の技系譜
コバチ(バーを越えながら後方かかえ込み 宙返り懸垂)の技系譜

バーを離して、再びつかむ「離れ技」で、後方にかかえ込みながら2回宙返りをしてバーをつかむのが「コバチ」。それが基準で、1回ひねりを加えるE難度「コールマン」が92年、これを伸身(体を伸ばす)で行うG難度「カッシーナ」は02年に初成功、命名がされた。その系譜を動かす。コバチを2回ひねる-。

「私はあまりエレガントな体操選手ではないですが、いつもとてもクレージーなんです」。実際、周囲からは狂気とみられた。あざけりの声も幾度も聞いた。「彼らは私が貴重な練習時間を無駄にしていると考えていた。私とコーチ以外に成功を信じたものはいなかった」。ただ、時に狂気に映る意思こそ、開拓者に必須の条件だろう。

空中にいる時の視界はない。できる限り正確にバーを手でつかむために、空中の軌道を固定する必要があった。バーの動きから測定を行うソフトウエアを開発。約2000回の跳躍をへて、いつ、どの速度でバーを引っ張らなければならないか。「可能かどうか分からないことが最も難しかった」。参照例がない。何が正解なのか。バーをつかめず、幾度も落下した。

初めてバーをつかまえたのは、約800回の挑戦後の12年12月。翌年、3、4割の成功率になり、14年には8、9割に。「正しい方向に発射できるようになった」。最初の成功から2年後の14年の国際大会で挑戦し、15年に「ブレトシュナイダー」と命名された。難度としては鉄棒で史上初の「H」。狂気が勝った。

技の鍵を「catapult(カタパルト)」と例える。空母などから短距離で航空機を発射する装置。バーを唯一無二のタイミングで引っ張り、上空に飛び出す力を得る。バーを再び握る時にかかる体重の8倍の重力に耐える強い手、食いしばるために「優れた歯科医も必要かな」とも。

「ブレトシュナイダー」を跳ぶブレトシュナイダー(本人提供)
「ブレトシュナイダー」を跳ぶブレトシュナイダー(本人提供)

内村を見て、発見もあるという。「技の終わらせ方は1つではないのは驚くべきこと」。違いは縦回転のスピードが内村の方が遅いこと。より高く跳び上がれるため、回転にわずかの余裕を生む。結果、両手での同時のキャッチを可能にする。「私は少し手のタイミングがずれる。ほんとにまばたきするくらいの差ではありますが」。その微細な巧み加減が、次の技への移行のスムーズさ、そして美しさを生むと分析する。

「減点箇所が見つけられない」。技の可能性を広げるその実施は、本家をも感嘆させる。その1秒にこそ、内村のすごみが詰まっていた。(つづく)

◆アンドレアス・ブレトシュナイダー 1989年8月9日、ベルリン生まれ。体操選手だった母の影響で競技を始める。世界選手権は種目別鉄棒で13年6位、15年5位。16年リオ五輪では直前5月のテストイベントで15・600点で2位。メダルも期待されたが本番はケガもあり予選落ち。個人総合は20位だった。伸身でのブレトシュナイダーにも非公式には成功していたが、17年に日本の宮地秀享が成功し、「ミヤチ」と命名された。167センチ、60キロ。インスタグラムは@andreas.bretschneider