東京2020オリンピック(五輪)・パラリンピックのエンブレム「組市松紋」を制作した美術家、野老(ところ)朝雄氏(51)が5日までにインタビューに応じた。大会延期を受け、あらためて「多様性と調和」を発信する象徴となったエンブレムに込めた思いを紹介。昨年5月の新型コロナウイルス感染拡大下で「わが子」と愛する作品が風刺に遭い、傷つけられた時の心境も初めて打ち明けた。【取材・構成=木下淳】

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都内では、やはりタクシーが最も多いだろうか。東京2020大会の1年延期に伴い、エンブレムが街中で見られる期間も延びた。制作者の野老氏は「不思議な気持ち。去年の夏、ポスターが一斉に剥がされる日を覚悟していたので」と胸の内を語った。延期が決まった昨年3月まで丸刈りだったが、今は長髪。「コロナに対する験担ぎで1度も切っていないんです。感染拡大後、次々とプロジェクトが中止になり人と会う機会も減ったので、髪をそる必要がなくなって。いっそパラリンピックが閉幕する9月5日まで伸ばして結ぼう」と継続している。

そう大会成功を願う一方で開催への機運は高まらない。「感染症拡大の影響でグッズ売り場も一時的に閉鎖されたと聞きました」と実感はしつつ、前を向く。「1920年のアントワープ大会もスペイン風邪を乗り越えましたし(教壇に立つ)東大の学生にはニュートンの話をしたんです。17世紀、4度目のペスト大流行でケンブリッジ大が閉鎖され、帰省していた時に万有引力の論文を書いたことを。学生には重要な機会と思ってほしいし、アスリートも懸命に努力されている。エンブレムも、地方ではまだ見たことがないという方も多いですが、本大会が始まって初めて見られるもの。正直、見ていただきたい」と率直に打ち明けた。

「5歳の誕生日を迎えました」。そう頬を緩め、柔和に話すのは、実子ではなく「組市松紋」のことだ。16年4月25日が、佐野研二郎氏のデザインが白紙撤回されてから8カ月後の新エンブレム発表日。10日前に丸5年が経過した。当時、野老氏が会見で「わが子のよう」と言った作品。取材中も、木材で作ったパーツをパズルのように優しく動かしながら「3種の四角形45個(大9中18小18)は、配置を変えればオリンピックにもパラリンピックにもなる」。その形に「平等」の精神を込めて制作した。

組み替えのパターンはオリンピックが約53万通り以上、パラリンピックが同335万通り以上あると数学者によって立証され、算数や数学の教科書に載るなど広がりも見せている。オリパラのエンブレムでは初の展開で、違う形のものが何通りも姿を変え、輪になることで「多様性と調和」を表現した。くしくも、今年2月に組織委会長が森氏から橋本氏に交代し、クローズアップされた理念と重なって意義が再確認された。

01年の9・11(米同時多発テロ)で「断絶を見た世界を『つなげる』ために」幾何学、紋様(パターン)の制作を続けてきた。「今年で20年も何かの縁」。コロナ禍で人と人が分断された社会へのメッセージにもなる。かつて「地味」とも評された単色も「黒の次に退色しないのが藍色」で、発表から5年たった今も街のポスターの組市松紋は色あせていない。「戦国武将が『勝色』として愛した」日本伝統の色でもあった。

その「わが子」を傷つけられたことがあった。昨年5月。日本外国特派員協会の月刊誌が、エンブレムをコロナに見立てたデザインを表紙に掲載した。「サタイア(風刺)の件は忘れられない。当時、怒りと悲しみで感情的になっていたので、メディアの取材依頼は全て断りました」。あの時に言及するのは初めてだ。

「子供の顔に落書きされたようなもの。頭にきました。生みの親として」と、穏やかな口調に怒気がこもる。「納得いかないのはFCCJ(外国特派員協会)がすぐ取り下げたこと」だった。組織委の抗議を受けて数日であっさり撤回したことが理解できなかった。

協会の釈明会見も生で視聴したが「引いた理由が分からなくて。ジャーナリズムで描いたのであれば命懸けで闘ってほしかった」。偶然、自身もコロナと禁止マークを掛け合わせたり、ウイルスを一刀両断するデザインを考案していたタイミングだった。比べて中途半端な風刺画に「神聖なもの」を汚された気がした。

手掛けた、東京在住という英国人デザイナーに対しては「いつか話をしてみたい。大会を中止しろという意味だったのか、単なる注意喚起だったのか」など聞きたいことは山ほどある。「1年たっても、この話題になったらカッとなってしまいました」と恐縮した野老氏は「大会後に語るべき重要なこと」と強調した。欧米ほど風刺に寛容ではない日本の現状も踏まえた上で「議論する前に終わってしまった。もったいない」と、レガシーになり得る今後の議論発展に期待した。

エンブレムを手掛け、人生は変わったか。「コロナ後は右往左往しましたけど『つなげる』ことを自分は息絶えるまでやるんだ」と再認識した。続けて「オリンピックの勉強もするようになりましたし」と言い「エケケイリア」を挙げた。交戦が相次いだ古代ギリシャの「休戦協定」。近代オリンピックでは94年のリレハンメル大会から国連が休戦決議を採択し、この東京大会にもつながっている。

「大発明。冬季もあり戦争をしにくくなった。平和の祭典。ただ、そこには健康も含む、ということを今は思い知らされています」

コロナ禍のエケケイリアとは、他者との分断の解消だろう。「仲の悪い人も大会の最中だけは仲良く」。エンブレムも「個」である四角形の角が点で接していくうちに「群(グループ)」になり「律(ルール)」を守って円(輪)になる。

開幕まで3カ月弱。野老氏は、使い捨てプラスチックを再生利用して作る表彰台のデザインも任されている。こちらは19年6月の計画発表から延期をへて、お披露目を待つ段階。「表彰台は、特別な存在が立って初めて美しいものとして成立する。そこにアスリートが立つ姿を見たい」。開催されて、次代にバトンを渡す大会になることを「象徴の親」として願っている。

◆野老朝雄(ところ・あさお)1969年(昭44)5月7日、東京都生まれ。父は建築家の正昭氏、母はインテリアデザイナーの春子さん。東京造形大で建築を専攻し、英国留学をへて江頭慎氏に師事。代表作は大名古屋ビルヂング「下層部ファサードガラスパターン」や東京体育館前「HARMONIZED TOWER」など。紋様や柄デザインの第一人者。サーフィン日本代表の公式ウエア、プライドハウス東京のロゴも手掛けた。11日に美術出版社より初の作品集「野老紋様集2001-2021→」を出版。17日は「グラフィックトライアル2020-Baton-」でオンライントークイベントを開催。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)

自身の作業場で作品への思いを語った東京五輪エンブレム制作者の野老氏(2021年4月19日撮影)
自身の作業場で作品への思いを語った東京五輪エンブレム制作者の野老氏(2021年4月19日撮影)