96年アトランタ・オリンピック(五輪)で日本代表コーチを務めましたが、真っ先に思い出すのは、予選敗退寸前まで追い込まれたことです。初戦に勝った後3連敗で、もう負けられなくなった。その夜、選手村で松中、谷、大久保、井口ら何人かの選手に「予選前半に勝って、後は負けても大丈夫で決勝トーナメントに行くより、緊張感を持って、勝った、勝ったで決勝に行くのが一番いい」と言いました。

実際に、そうなりました。1勝3敗から3連勝で予選突破。言ってみれば、3連敗からはトーナメントです。1回戦、2回戦、3回戦と勝って準決勝。勝ち続ければ決勝に行けるのですから、選手の気持ちをどう切り替えさせるかでした。

守備・走塁にデータも担当しましたが、選手によく言ったのは「“選ぶ”というのは“捨てる”ことだ」です。予選を突破し迎えた準決勝アメリカ戦。相手先発ベンソンはその年のメジャー・ドラフト1位で、150キロ超の真っすぐにチェンジアップがあった。試合前日、桑元(内野手)がクセを見つけました。投球前にボールを握る指が、チェンジアップの時はぴくぴく動く。割り切って打てと。11-2の圧勝です。

決勝の前には「キューバの投手は真っすぐを思い切り振ったら、次は必ずスライダーを投げる」と伝えました。松中の同点満塁弾は、真っすぐをファウルした後のスライダーを打った。選手に、どう信じさせるか。そのためにも、私自身が映像を見て確信を持つようにしました。松中も信じてくれました。

五輪を経験し感じたのは、世界にはいろんな人間がいるということです。目の色、皮膚の色、体形だけじゃない。考え方も違い、それぞれの文化がある。視野が広がりました。2月から母校の指揮を執ることになりましたが、学生たちにも世界を見る経験をさせてあげられたらと思います。

本音を言えば、五輪はアマチュアに残して欲しかった。社会人、大学生の目標になりますから。高校生でもスーパースターが出たら代表に入れていい。五輪はアマ、WBCはプロとなればと思います。ただ、東京五輪で金メダルを取れば、プロアマ関係なく盛り上がる。ぜひとも、頑張って欲しいですね。そして、今はコロナで難しいですが、秋か冬には、アトランタで監督を務められた川島さんの野球殿堂入りのお祝いを出来たら、と願っています。(335人目)