銀メダルを獲得した96年のアトランタ・オリンピック(五輪)で、強く印象に残っているのは日の丸を背負うことの重さです。当時、僕は早大の学生で出場していました。とにかく今の自分ができることをやろうと。自分の力を出すことが何よりチームのためになると思ってやっていました。でも背負うものはやはり大きいものがあったと感じました。覚悟が足りなかったというよりも、それだけすごい場だったということです。日の丸を背負ってやってきた先輩方の言動や気持ちを聞いたら、それほどの大変な場なんだと気付きました。

その中で初戦のオランダ戦で先発に抜てきされました。与えられた試合でベストを尽くすという気持ちを芯にしてやっていたので「初戦だから」と特別な感情はありませんでした。いつも通り、自分のベストを出そうと思ってやっていました。結果は12-2でコールド勝ち。それでも特別な場に立っているという緊張感がありました。

予選リーグでアメリカに10点差を付けられて完敗した後にはミーティングがあったんです。エースの杉浦さんが中心になって、「このままだったらもう日本に帰れない」と。僕が考えていたように、ただ「自分の能力が発揮できればそれでいい」という場ではなかった。それぞれが強い気持ちを持ってやらないとだめだと。そういった刺激が大会中にありました。

その時のメンバーとはいまだに交流があります。コロナで昨年は会えなかったのですが、毎年、監督コーチ含めた当時のメンバーで集まっています。福留選手はいまだに現役なので、なかなかその会には出られていないですが、会ったら会話しますね。

最近でもプレミア12やWBCは見ています。日の丸を背負って戦っている、これが国を背負って戦うということだと。苦しいというか大変なんだろうな、と。大変な中でも戦ってるというのは見ていて感じますね。そこは昔と変わらないです。それでもこの場から得られる経験値は大きなものがあります。現在は3軍の投手コーチで若手を指導していますが、彼らにも日の丸を背負って、あの舞台を経験して欲しい気持ちはあります。今、3軍にいる投手だったら直江投手など、若い選手には期待しています。あの場所は特別ですから。(340人目)