日本勢の活躍で盛り上がるリオデジャネイロで9月7日、パラリンピックが開幕する。馬術の日本代表として、唯一出場するのが、かつて栗東トレセンでG1馬を手がけた宮路満英元調教助手(58=セールスフォースドットコム)だ。05年に脳卒中で倒れ、右半身まひや高次脳機能障害の後遺症を抱えた。リハビリとして再び馬に乗り始め、妻裕美子さん(58)との二人三脚で大舞台への道を切り開いた道のりに迫った。

 手綱とムチを左手だけで操る。右半身の感覚はない。右腕は胴に固定して、右足はゴムであぶみに結ぶ。それでも「みやじぃ」と呼ばれる58歳は意のままに馬を導く。病に倒れてから11年。今回のパラリンピックの馬術で、唯一の日本代表だ。その明るく謙虚な語り口は、乗り越えてきた苦難を感じさせない。

 宮路 人馬一体で自分のパフォーマンスをしたい。僕はラッキーで、ここまできた。いいタイミングで、いい出会いがあった。馬とも、人間とも。

 05年7月に厩舎内で倒れた。脳卒中で3週間も意識が戻らず、右半身まひと高次脳機能障害の後遺症を抱えた。当初は話そうとしても言葉が出ず、妻裕美子さんへ「あんた、誰?」と問いかけたこともあったという。27年間の厩舎勤務にも終止符を打たれた。

 絶望から救ってくれたのは、馬だった。知人宅で飼われていたミニチュアホースに盲導馬の経験があり、手綱を引いて散歩するリハビリを始めた。ある日、その背に小型犬が乗ったのを見て「あいつにできるなら」と思い立った。もう1度、馬上へ-。乗馬クラブで2年ぶりにまたがった。

 宮路 うれしかった。内心で「もう馬には関われない」とあきらめていたから。乗り始めてからは体も動くようになったし、だんだん話せるようにもなった。リハビリとしても、すごく効果があった。

 希望を支えてくれたのは、妻だった。馬術競技への出場、海外への遠征、そしてパラリンピックへの挑戦。記憶力に難があり、5分のコースを覚えるのに1年を要するなど、決して楽な道のりではなかったが、夢は少しずつふくらんでいった。裕美子さんは当初こそ反対したが「言うことを聞かへん人なんで」と笑う。自らも未経験の身から乗馬を始め、練習のサポートに携わるようになった。今では馬上の夫へ「そこで速歩(はやあし)!」「違う!」と厳しい声も飛ばす。競技中に経路を読み上げるコマンダーとして、リオにも同行する。

 障がい者乗馬の未来も背負う。4年後の東京パラリンピックに向けては、いずれも落馬で負傷した常石、石山、高嶋の元騎手3人も出場を目指している。

 宮路 もっともっと障がい者乗馬が広がってほしい。年齢は関係ないし、気をつけるところだけ気をつければ危なくない。(乗馬再開から)落馬は1度もない。助手の時は何度も落ちて、結婚式の直前に右足を骨折したこともあったけどね。

 ともにリオへの切符をつかんだ愛馬オキーが春先に故障したため、本番には新しい相棒バンデーロと臨む。そんな不運も、もはや苦にならない。馬と、妻と。三位一体で世界に挑む。【太田尚樹】

 ◆宮路満英(みやじ・みつひで) 1957年(昭32)10月29日、鹿児島県生まれ。80年栗東トレセンへ入り、宇田厩舎から森厩舎へ。98年に仏G1モーリス・ド・ゲスト賞を勝った名牝シーキングザパールなどに携わる。05年7月に脳卒中で倒れ、07年に退職。今年1月のオランダ大会で5位入賞などの実績を挙げ、パラリンピック出場権を獲得。現在はIT企業セールスフォースドットコムに勤務。164センチ、59キロ。

 ◆パラリンピックの馬術 規定演技を行う「チャンピオンシップ」、選手それぞれが選んだ楽曲に合わせて演技を組み合わせていく「フリースタイル」の2種目。下肢障がいの選手らが人馬一体となり、技の正確性と芸術性を競う。障がいに応じて工夫した手綱や鞍を使い、残存能力をフルにいかして演技をする選手も。さまざまなステップを踏んだり、円などの図形を描くなどで、演技の正確さと美しさを競う。五輪と同じく男女混合。馬場は20×60メートルの長方形。障がいの程度の重い順に1a、1b、2、3、4と5段階のグレードに分けられる。宮路は1b(重度)で、常歩(なみあし)と速歩のみで競技を行う。今大会は9月11~16日の6日間で開催。

 ◆パラリンピック馬術の日本代表成績 00年のシドニー大会では3選手が出場。吉田福司の個人6位が最高成績だった。04年アテネ大会では鎮守美奈が個人自由で12位。08年北京大会の渋谷豊、12年ロンドン大会の浅川信正はいずれも個人12位だった。