18年平昌(ピョンチャン)パラリンピックの新種目スノーボードで成田緑夢(ぐりむ、23=近畿医療専門学校)にメダル獲得の期待が懸かる。フリースタイルスキー・ハーフパイプ(HP)の有力選手だったが、13年に練習中の事故で転向。平昌ではスノーボードクロスとバンクドスラロームの2種目で代表入りが有力だ。20年東京では、アジア初となる五輪とパラリンピックの両大会出場を目指す23歳の思いを聞いた。【取材・構成=上田悠太、峯岸佑樹】

 

 成田はすでに日本障害者スキー連盟から平昌五輪の代表候補として推薦を受け、来年1月22日の正式決定を待つばかりだ。3月のW杯バンクドスラローム(男子下肢障害)、今月2日のW杯スノーボードクロス(男子下肢障害)で優勝。本番の平昌で初代王者の期待も懸かるが、自らの立ち位置を謙虚に見つめた。

 「僕の演技がたまたま爆発した時のみ成績を取れている感じです。直線は得意なのですが、ターンでいつも転倒、追いつかれるのが特徴なんです。技術力として欠けている部分」

 欠点は分析できている。12月上旬のフィンランド合宿から左足に硬い素材のブーツを履き、苦手にしていたターンが改善された。

 フリースタイルスキー男子HPで国内トップクラスの実力者だった。ソチ五輪前年の13年。トランポリンの練習の事故で、腓骨(ひこつ)神経まひとなり、左膝から下が動かなくなり、パラ・スノーボードに転向した。けがをする前は自らの競技レベルを上げることだけに集中していた。その時はまったく考えていなかった哲学がある。

 「僕は夢、感動、希望を与えるのが人生のゴールだと決めた。オリンピックは競技の技術が上がりすぎて、超人的なイメージ。見ていて楽しいけど、別世界の人にも感じる。でもパラリンピックに出た人が五輪に出れば違う。健常者よりもマイナスな人が五輪に出れば、情報発信力も違う。それで今、目の前にあるのが平昌パラリンピック」

 障害のある中、スポーツに取り組み、何げなくフェイスブックに投稿すると「勇気をもらった」などの多くの声が届いた。障害があるからこそ「人に影響を与えられる」と知った。

 今年6月の日本パラ陸上選手権の走り幅跳び(T44クラス)で2位に入った。夏冬のパラリンピック出場も決して夢ではない。さらに東京五輪も視野に入れている。狙う種目は陸上競技、射撃など複数から絞り込んでいる。「メダルの色が欲しいわけではない。影響力がほしい」。そんな常識にとらわれない道を進めば、より多くの人を勇気付けられると信じている。

 

 ◆成田緑夢(なりた・ぐりむ)1994年(平6)2月1日、大阪市生まれ。フリースタイルスキーHPでは13年の世界選手権9位、世界ジュニア選手権優勝。パラ・アスリートとしては陸上にも励み、今年6月の日本パラ陸上選手権では走り幅跳び(T44クラス)で準優勝。兄童夢(どうむ、写真)姉今井メロは06年トリノ五輪スノーボードHP代表。172センチ、63キロ。