20年8月25日の東京パラリンピック開幕まで13日でちょうど500日。区切りの日を前にバドミントンSU5(上肢障害)クラスの世界ランキング5位・豊田まみ子(27=ヨネックス)がコートに戻ってきた。昨年9月に右ハムストリング付着部を断裂。7カ月のブランクを経て3月末から国際大会2試合に出場し、東京出場へスタートを切った。世界選手権シングルスで金銀銅3つのメダルを手にしているアイドルは、完全復活と出場権獲得にチャレンジする。

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悔しかった。それ以上に喜びと安堵(あんど)を感じていた。豊田は3月末から今月上旬にトルコ国際、ドバイ国際に混合ダブルスで出場。SL3(下肢障害)末永敏明とのペアでベスト8、同16にとどまった。この2連戦から東京出場争いが始まっただけに、メダルを逃したことは口惜しい。ただ、コートに立ってプレーできた事実が何より大切だった。

「こんなに長いブランクは初めてです。何とかこの2試合に間に合わせたかったのでホッとしています」

昨年9月4日の練習中に右ハムストリング付着部(太もも裏とお尻の間)の筋肉を断裂。同18日に患部と骨を金属でつなぐ手術を受け、10月のアジアパラなど3大会を欠場した。選手生命を左右しかねない大けがで、本格的に練習を再開したのは2月中旬。まだ痛みのような違和感が残る。

「今の状態ではシングルスをやれるイメージが湧かない。諦めたわけではないですが、体調を考えながらダブルスで頑張ります」

幸運なのは東京出場へダブルスが重視されたこと。来年3月までの14大会の獲得ポイントで争うが、ダブルス上位者には優先的にシングルス出場権も与えられる。豊田は混合で末永、ダブルスでSL3の伊藤則子と戦いながら8月の世界選手権(スイス)をめどにシングルス復帰を目指す。

「特に混合で頑張りたい。出場権を取るには世界4位までの厳しい枠ですが、あえてその条件に挑んでいきたいと思っています」

7カ月のブランクを経て、体調を回復させながら世界を転戦する。東京への道のりは険しい。ただ、13年の世界選手権シングルスを初出場で制し、その翌年にバドミントンの東京新規採用が決まったというラッキーガール。500日後に迫った祭典とはしっかり結ばれている。【小堀泰男】

◆豊田(とよだ)まみ子 1992年(平4)4月11日、福岡市生まれ。先天性の左前腕欠損。選手経験のある母親の影響で小学4年生からラケットを握る。地元の強豪・精華女子高では部活動とパラ大会出場を両立。筑紫女学園大進学後は社会人チームでプレーし、1年時にパラ日本代表候補合宿初参加。3年時の13年に世界選手権シングルス初出場優勝。同選手権では15年準優勝、17年3位。ヨネックス勤務。164センチ、53キロ。クラスはSU5。