村岡桃佳(21=早大)が日本選手第1号のメダルを獲得した。難コースを1分34秒75で滑りきり、優勝したシャフェルフーバー(ドイツ)に1秒49及ばなかったものの2位、銀メダルに輝いた。

 エントリーした7人中、3人が途中棄権というサバイバルレースになった。「本当に率直に言うと、ホッとしています。デコボコなコースで、先に2人転倒していた。私も何回転倒するか不安、恐怖の中のレースでした。ゴールして、メダルを獲得できてうれしい。私が(日本勢の)メダル第1号になれればいいと思っていた。安心しました」。村岡は大きく息を吐き出しながら柔らかい笑顔を見せた。

 埼玉・正智深谷高2年生の時に14年ソチ大会に初出場。大会最終日の大回転で5位に入賞したが、世界との差も痛感した。以来、「パラリンピックでメダルを取る」ことを目標に競技に集中してきた。早大にトップアスリート入試で進学し、スキー部初のパラ選手に。大学側も村岡のために500万円をかけて選手寮やトレーニングルームをバリアフリー化した。ただ、練習も生活も一般の選手と同じ環境であることが、その成長に拍車をかけた。

 4歳の時、家族で買い物に出掛けたスーパーで両足を鉛のように重く感じたという。「横断性脊髄炎」と診断されて車いす生活になったが、家族の応援もあって積極的にスポーツに取り組み、陸上で全国大会にも出場。中学2年から本格的にスキーに取り組んだ。1年後には世界を舞台に戦うようになり、15-16年シーズンにはW杯の大回転で種目別優勝。昨年、プレ大会として同じコースで開催されたW杯の滑降で3位に入るなど、今では世界の表彰台の常連。7日の公式練習でも3番目のタイムを記録するなど、メダルの期待は高まっていた。

 日本選手団の旗手として9日夜の開会式に出席した。ダイヤモンドダストが照明に浮き上がるほどの寒さの中、半日後のレースへの影響も懸念されたが「4年前には考えられなかった。こんな大役をいただける選手になれたことがうれしいです」と、誇りを胸に選手団の先頭を車いすで堂々と行進した。男子に実力者がそろってメダル量産が期待されるアルペン座位メンバーの中、ただ1人の女性選手が積極果敢な滑りで日本に勇気と勢いを与えた。

 ◆村岡桃佳(むらおか・ももか)1997年(平9)3月3日、埼玉県生まれ。正智深谷高卒業後、早大スポーツ科学部へ進学。4歳の時、横断性脊髄炎を発症し、車いす生活となる。中2で本格的に競技を始める。日本選手団最年少の17歳で出場した14年ソチ大会は大回転5位、回転9位。17年W杯白馬大会スーパー大回転優勝。家族構成は両親、姉、兄、妹。150センチ、37キロ。