日本男子20年ぶりの挑戦が終わった。世界ランク8位のSC軽井沢クは、最終戦で同16位の韓国に4-10。第6エンド(E)にスキップ両角友佑(33)が最後の石で自軍の石2個を出して4失点し、「これが今の実力」と受け入れた。4勝5敗の8位で終戦。98年長野五輪で進出したタイブレークにあと1歩届かなかったが、再びカーリング男子の時計の針が動きだした。

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 歓喜するスタンドを見上げた。両角友は、セカンド山口とボードに背中を預け、大喜びする地元ファンに見ていた。同点の第6E、4失点で負けを悟った。「最後に勝ちたい試合で力が出せなかった。4勝5敗が今の自分たちの実力」。他の仲間は涙したが、1人だけ涙を見せなかった。「攻撃的な作戦は選べた。20年間、日本は世界から大きく離された。ここで4勝したことは収穫」と胸を張った。

 スラリとした見た目だが、中学時代は体重100キロを超えていた。野球部の一塁手。「太っているから捕手やって」と言われ「怖いから嫌だ」と断った。98年長野五輪を見て競技に熱中。最初からスキップの位置で仲間に指示した。長岡コーチにランニングを指示されると「えー、なんで走らなきゃいけないの?」と聞いた。とにかく作戦を考えることが大好きだった。

 「石が動くのを見るのが好きだった。不規則に、いろんな動き方をする。ビリヤードとも違う」。回転、当たる角度、強さ…。不思議な動きにとりつかれた。同コーチが本場カナダから取り寄せたVHSビデオが教材。ハウス内に大量の石がたまる攻撃的な戦術に「これで世界と戦いたい」。

 初の五輪まで20年かかった。給料から月2万円、遠征費をためた。09年1月に中学時代に出会った10歳年上の理学療法士、恵美さん(43)と結婚し、今は3児のパパだ。長女奏美(かなみ)ちゃん(6)は最近、カーリング教室に通い始め、今大会は「パパ、頑張って」と現地で声援を送った。両角友は「本当はタイブレーク、表彰台ともっとインパクトを残したかった」と言った。

 中学時代に「氷上の戦い」と題した作文で「大人から子どもまで年齢に関係なく楽しめることができます。男女も関係ありません」と競技の魅力を書いた。恵美夫人には「何年でもずっとやれる競技だから」と話している。「もう1度、この4人でやれるなら、再び4年後の五輪に出場して、戦いたい。次こそ表彰台に上がる4年間になるんじゃないか」。20年ぶりに日本男子の歩を進めて、涙はない。そして初の五輪であらためて思った。カーリングが好きだ。【益田一弘】