泣いて、怒って、喜んで。陸上男子50キロ競歩の荒井広宙(ひろおき、28=自衛隊)が、日本競歩初の銅メダルを獲得した。49キロ付近で3位を争うダンフィー(カナダ)と接触。3時間41分24秒の3着でフィニッシュもカナダ側が進路妨害を主張して一時は失格となった。すぐに日本側が再抗議して裁定が覆った。1936年ベルリン大会で同種目に初参加してから80年。ドタバタ劇の末に日本競歩が悲願のメダルを獲得した。

 歴史的快挙は、ゴールから3時間半後に確定した。荒井の銅を伝える、国際陸連の理事による審議結果のメールが関係者に届いた。女子20キロ競歩を応援していた荒井は吉報を聞いてガッツポーズ。日本応援団から「うわー」という大歓声が響いた。

 「全く予想外の展開。失格になっちゃうのかなと思った。純粋にうれしい」

 強い日差しで出場80人中39人が完走できなかった過酷なレース。残り1キロで4位ダンフィーに抜かれた。「やばいなあ、4位かなあ。でも仕掛けず終わるのはもったいない」と抜きにかかった。意識もうろうとした両者のデッドヒート。その際に相手の左肘と荒井の右腕が接触。バランスを崩した相手との差を広げて3位に入った。昨年11月に死去した母繁美さん(享年63)を思い「仏壇にメダルをささげます」と泣いた。

 涙を流していたころ、カナダ側が進路妨害で抗議し、一時は失格となった。荒井は肝心の場面を「正直きつすぎて覚えてない。ちょっと強めに当たったな、ぐらい」。故郷長野の父康行さん(67)に「もしかしたらダメかも」と電話した。「レース中にぶつかるのは日常茶飯事。なんで…」。

 日本側は負けじと再抗議。麻場強化委員長は「相手の肘が先に当たっている」。今村競歩部長は他国のコーチから「ダンフィーは数キロ前からふらふら。荒井はむしろ倒れるのを支えたようなもんだ」と言われた。決定まで3時間もかかった。荒井はその間、ダンフィーに「ソーリー」と謝罪された。「彼が怒っているように見えなかった。選手同士よりも上の人(連盟)の話。3番でゴールしたことは間違いない。メダルがなくても次につながるレースだった」と考えていた。

 3位→失格→日本競歩初の銅メダル。沿道で兄2人が掲げた母の遺影については「気づかなかったけど、でも最後は力になってくれたのかな」。日本競歩に五輪初挑戦から80年でメダリストが誕生した。「先輩たちがここまで連れてきてくれた。銅で満足せず、来年の世界選手権、東京五輪でもっともっと上を目指したい」。最後にこの日2度目の日の丸を背負って「お騒がせしました」とぺこり。今大会の陸上メダル1号は「さあ皆さん、女子を応援しましょう!」とさわやかに言った。【益田一弘】

 ◆荒井広宙(あらい・ひろおき)1988年(昭63)5月18日、長野県生まれ。長野・中野実高2年で競歩を始める。福井工大-石川陸協-北陸亀の井ホテルをへて13年4月に自衛隊入り。世界選手権は11年から3大会連続出場で15年北京大会4位。家族は父と兄2人。180センチ、62キロ。

<荒井ドタバタ銅メダル>

 ◆午前8時 ポンタル周回コースで、男子50キロ競歩がスタートする。

 ◆同10時56分 荒井が40キロ地点をトップと4秒差の2位で通過する。

 ◆同11時14分 荒井が45キロ地点をトップと26秒差の3位で通過。2位トートと4秒差、4位ダンフィーと9秒差。

 ◆同11時37分 荒井が残り1キロ付近で後ろから猛追してきたダンフィーに1度抜かれるも、接触し、再び3位に浮上。

 ◆同11時42分 3着でゴール、うれし泣き。カナダ側が進路妨害で抗議。

 ◆午後0時50分 荒井失格、ダンフィー3位が発表され、表彰式が準備される。

 ◆同1時5分 日本側再抗議。表彰式が延期。

 ◆同2時30分 女子20キロ競歩スタート。荒井は仲間たちと岡田を応援。

 ◆同3時14分 国際陸連理事による審議結果メールが日本陸連関係者に届く。荒井銅メダル確定。

 ◆同3時24分 荒井がこの日、2度目の日の丸を背負って、喜びを語る。

 ◆同8時10分 五輪スタジアムで延期されていた表彰式に出席する。