リオで異例の日本人対決が実現した。バドミントン女子シングルス準々決勝で、世界ランク6位の奥原希望(21=日本ユニシス)が、同12位の山口茜(19=再春館製薬所)と対戦。過去山口に6戦全勝の奥原は第1ゲームこそ強打に苦しみ落としたが、巧みな配球で相手の疲れを誘って2-1で逆転勝ちした。シングルスでは日本勢初の4強入り。年下のライバルを下した日本のエースが、初メダルに王手をかけた。

 普段は練習でシャトルを打ち合っている2人が、世界の大舞台で戦った。第1ゲーム、奥原は山口の強打に苦しんだ。「今日の茜ちゃんは強かった」。7回目の対戦で初めてゲームを落としたが、その後が強かった。山口を前後左右に振って強打を封じ、疲れさせてミスを誘った。逆転勝ちで「先輩」の意地を見せ「互いにベストパフォーマンスで戦えた」と胸を張った。

 異様な雰囲気だった。巨大ホールにコートを置き、仮設のスタンドを造った会場。バックスタンド中央左に日本ユニシス、右には再春館製薬所の応援団が陣取った。1ポイント入るたびに「のぞみ」コールと「あかね」コールが響き「もう1本」の掛け声が飛んだ。地球の反対側が、日本になった。

 対戦が決まって、奥原は「ガチンコでやろう」と決めた。選手村では同室だが、話をすることもなかった。「私が部屋にいると、茜ちゃんはリビングにいた。意識させ過ぎたかな」と言った。中立を保ってコーチもつかない2人だけの試合。力を出し切ったからこそ「茜ちゃんに勇気とパワーをもらった」と振り返ることができた。

 5年前、史上最年少の16歳8カ月で全日本選手権を制して脚光を浴びた。しかし、相次ぐケガで一線を離れる間に飛びだしたのが3歳下の山口だった。「スーパー高校生」の称号も奪われた。置いていかれる恐怖と焦り、嫉妬も感じた。

 15年の全日本選手権で4年ぶりの優勝を果たし、直後のスーパーシリーズ・ファイナル初優勝で一気に知名度を上げた。その後は積極的にメディアに露出し、自身とバドミントンをアピールしてきた。山口へ向いた目を、振り返らせた。実力でエースの座を奪い返したからこそ、日本中が注目する「日本人対決」で負けるわけにはいかなかった。

 試合後、奥原は山口に歩み寄ってがっちりと握手した。スタンドでは両方の応援団も立ち上がって握手し、一緒に「ニッポン」コールを巨大ホールに響き渡らせた。「本当は、もっと(決勝など)上で当たりたかった」と漏らした奥原の目標は金メダル。「こんなところで喜んでいられない。茜ちゃんの思いも背負って力を出したい」。日本のエースであることをリオで証明し、日本の期待を背負って突き進む。【荻島弘一】

 ◆五輪の日本人対決

 バドミントンが五輪に採用された92年バルセロナ大会以降、日本人同士の対決は初。00年シドニー大会ではビーチバレー女子1回戦で高橋有紀子、佐伯美香組と石坂有紀子、清家ちえ組が対戦。組み合わせは五輪ランクなどをもとに抽選で決定し、高橋組が6位、石坂組が20位だった。試合は高橋組が15-3で快勝。佐伯と清家は当時同じダイキ所属。そのため応援団はどちらも応援できず、ただ試合を見守った。