萩野公介(東洋大)江原騎士(自衛隊)小堀勇気(ミズノ)松田丈志(セガサミー)の日本は7分3秒50で3位になり、この種目で64年東京大会の銅以来、52年ぶりにメダルを獲得した。エース萩野の突出した力、抜群のチームワーク、日本連盟の強化策がかみ合っての快挙を達成だった。

 1泳のエース萩野公介(21=東洋大)はスタートから攻めた。昨年の世界選手権は個人種目とともにリレー代表に選ばれていたが、大会の約1カ月前に自転車で転倒し右肘を骨折。日本に帰国する際の飛行機内では、勝負できない悔しさとともに、メンバーに申し訳ないとの思いが渦巻いた。「みんなに迷惑を掛けた」。仲間への恩返しの思いを込めて飛ばした。

 2泳の江原騎士(23=自衛隊)は萩野の代役として昨年の世界選手権に出場し、五輪出場権の獲得に貢献した。172センチ、59キロとトップアスリートとしては小柄。2メートル級がずらりとそろう海外勢の中ではひときわ小さいが、闘志は負けない。「大きな外国人に勝って、小さい日本人でもできることを証明したい」。萩野がつくった貯金を生かした。

 3泳の小堀勇気(22=ミズノ)は前回ロンドン大会のリベンジを誓ってリオに入った。ロンドン大会では予選落ち。戦後最多タイ11個のメダル獲得で、盛り上がる代表の中で、悔しさを味わった。「金メダル争いができる」との強い思いで練習を積んできた。

 アンカーは4大会連続五輪出場の松田丈志(32=セガサミー)。今大会を集大成と決めているベテランは08年北京大会で銅、12年ロンドン大会で銀、銅を獲得している。「僕も唯一金メダルがない。頂点への勝負できるのはすごく幸せ」と力を振り絞った。

 金メダルを狙うため、スペイン高地合宿に出た萩野以外の3人は4月から国内で合同練習を積んできた。久世コーチも「個人で練習していると追い込めない。3人で競り合うことで追い込めてきた」と効果を話す。海外にいた萩野ともラインで密に連絡をとって情報を共有。グループ名は「8継金」だった。松田以外の3人は最後の五輪でリレーだけに懸けるベテランに対して、ロンドン大会の北島康介氏のように「丈志さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかない」と誓い合った。

 日本の自由形のリレーは長く苦戦が続いてきた。体力ある選手が有利といわれ、大型の欧米勢に差をつけられる。いつしか、日本人は平泳ぎ、背泳ぎなど、水の抵抗を減らす技術重視の種目が向くと言われるようになった。「自由形は世界に通用しない」。それは水泳関係者の常識になり、有力選手は自由形を避けるような時代もあった。

 危機感を募らせた日本水連は、04年アテネ大会後から自由形合宿を行うなど、低迷打破に取り組んだ。2年前からは日本スポーツ振興センター(JSC)から20年東京大会に向けてターゲットスポーツとして強化資金も出た。そんな中、実力者の萩野があらわれ、日本の力を引き上げた。

 13年世界選手権は最後に銅メダルの中国に差されての5位。14年パンパシでは米国に0秒13差の2位に入るなど、半世紀以上遠ざかったメダルが視野に入りつつあった。ここ数年は選手たちは本気でメダルを考え、意識レベルも向上していた。抜群のチームワーク、日本連盟の強化策、エース萩野の突出した力。さまざまなものが絡み合って歴史的快挙が実現した。【田口潤】