陸上女子実業団の名門・ダイハツの山中美和子監督(42)が、日刊スポーツのインタビューに応じ、来夏の東京オリンピック(五輪)へ、松田瑞生(25)が女子1万メートルで出場を目指す方針を明かした。本職のマラソンは補欠扱いとなり、陣営はトラックでの再起を決意。12月4日の日本選手権(ヤンマー)で五輪参加標準記録の突破を目指す。就任1年目のOG監督は、自身の指導方針など今後についても語った。【取材・構成=横田和幸】

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2人が流した涙に1つの結論が出た。1月の大阪国際女子マラソンで、松田は五輪代表3枠目が有力視される、当時日本歴代6位の2時間21分47秒で優勝。コーチ時代から7年間苦楽をともにした教え子の頑張りに、山中監督は涙を隠せなかった。

だが3月の名古屋ウィメンズで、一山麻緒(ワコール)が松田を上回る同4位の好記録で優勝。最後に代表から滑り落ちた松田は4日後の代表内定会見に、MGC4位の結果で得た「補欠の2番手」で出席し、厳しい現実に大粒の涙を流した。陣営のショックは想像以上に大きかった。

あれから約5カ月がたち、松田と面談を重ねた山中監督は明言した。

「そこ(補欠からのマラソン出場)に期待していてもいけないので、目標としては1万メートルに挑戦することを考えています。補欠だからといって(他種目へ)何もできないのはちょっと(つらい)。あの子自身も世界選手権(17年ロンドン大会=19位)には1万メートルで出た。勝ち方は分かっているはずです」

前田穂南(天満屋)、鈴木亜由子(日本郵政グループ)、一山のマラソン代表3人に故障者が出れば、出場の可能性がある補欠の座は捨てていない。一方で日本陸連には、かつて主戦場にしていた一万メートルへの挑戦を相談し、このほど容認された。最終的には29歳で迎える24年パリ五輪へ、トラックで培ったスピードでマラソン代表をつかむ青写真だ。

その第1関門が、1万メートルなど長距離種目に絞って地元大阪で開催される12月4日の日本選手権だ。東京五輪の参加標準記録(31分25秒)の対象となる。松田の自己ベストは31分39秒41で、約15秒更新しないといけない。選考レースは来年の日本選手権だが、今季の成長は示したい。

「参加標準を切らないとどうにもならないので。元々は日本選手権の1万メートルは5月に開催予定だったのが、新型コロナの影響で長距離種目は12月に延期になった。その時点で(準備期間があるので)じゃあ、挑戦しようかとなりました」

大阪・池田市に拠点を置くダイハツは、創部33年目を迎えた国内屈指の名門だ。五輪のマラソンは、初代の鈴木従道監督が92年バルセロナに小鴨由水、96年アトランタに浅利純子、2代目の林清司監督が12年ロンドンに木崎良子を送り出した。

3代目の山中監督はOGとして昨年10月、10年間のコーチ業から内部昇格した。奈良・香芝中時代に作った3000メートルの中学記録は、27年たった現在も破られていない。3度走ったマラソンでの実績や五輪経験はないが、同学年の渋井陽子らと長距離でしのぎを削り、奈良・添上高、筑波大、ダイハツ時代は常に全国の上位にいた。

指導の信念は、強度の高い練習よりジョグを大切にすること。日本代表になるような選手は、準備走の時点で腰が高くリズムがいい。その土台ができれば次の練習が楽になり、けがを防止しやすくなるという。あくまで選手目線で、どこまでも選手に寄り添う姿勢に、松田が大阪国際で優勝した際に「山中監督と五輪に行きたい」と公言したほどだ。

「陸上部は会社内の1つの部署と思っています。選手は自分で考え、その中で相談、連絡するような関係性でありたい。OGとして私はこのチームを守り、企業スポーツとして結果を残したい。ダイハツの主力は軽自動車。女性をターゲットにしているのもあるし、軽量で軽々走るところを見せたい。その中でほとんどの部員が、華のあるマラソンで成功したいと思っています」

座右の銘は、基本を大事にするという意味の「凡事徹底」。ベテラン木崎ら16人の部員を率いる山中監督は、1人でも多くの選手を世界へと送り出す気概でいる。“浪速の腹筋女王”松田を、どう成長させていくのかも楽しみだ。

「私は鈴木監督の情熱、人柄でダイハツへの入社を決めました。林監督の選手をほめて伸ばすところも目標にしている。いいとこ取りですかね。(選手からは)お母さんみたいと言われるが、あまり子どもとしても見られないし、選手とは同性だし、言うならば同僚と思って指導しています」

自然体の山中監督が、ダイハツの新たな黄金時代を築く。

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◆山中美和子(やまなか・みわこ)1978年(昭53)5月24日、奈良・香芝市生まれ。香芝中時代から都道府県対抗女子駅伝の常連で多くの区間賞や区間記録を樹立。添上高3年時の世界ジュニア3000メートル7位入賞、筑波大1年時のユニバーシアード・シチリア大会1万メートル3位。ダイハツ入社後は01年神戸全日本ハーフ優勝、02年日本選手権一万メートル3位など。28歳で引退し、筑波大大学院や留学先の米ニューメキシコ大で指導法を学ぶ。10年にコーチ、19年10月に監督就任。ダイハツ管理本部総務室所属。

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【取材後記】

ダイハツの名伯楽・鈴木監督を多く取材してきた記者は、98年の欧州遠征に同行取材した際、現地で監督お手製のなすびの漬物を、エース浅利純子らと食べた思い出がある。当時は「チーム=家族」のような空気で、それぞれの距離感が今より近かった。

山中監督の場合、もちろん選手への愛情は歴代監督に負けていない。だが、別の角度からも愛情を注いでいるのがよく分かった。

例えば在籍する16人の部員は全員が正社員。監督の意向で極力、会社では別々の部署に配属されるようにしているという。木崎良子は国内営業本部総括室、松田瑞生は管理本部・安全健康推進室など。その理由は1人でも多くの社員に、選手の活動を理解してもらうためだという。

以前だと、選手が大阪国際女子マラソンに出場しても、会場に応援に来てくれるのは年配の社員に偏っていた。だが今年1月に松田が優勝した際は、後援会として300人以上の規模で若い社員も多く足を運んでくれた。彼女たちの頑張りが、社内に浸透してきた成果だった。

「企業スポーツの役割とは、会社を巻き込み、みんなで盛り上がっていくという側面もある。コロナ禍で不安定な環境に置かれても、選手には自分の存在価値を高めていかないと、と言っています」。監督のマネジメント能力は、試合や練習だけに発揮されているのではない。山中イズムの魅力でもある。