魂を継ぎ、いざ頂点へ-。侍ジャパンは19日から仙台で東京五輪前の強化合宿を開始する。開幕戦となる7月28日の1次リーグ・ドミニカ共和国戦(福島・あづま球場)は目前だ。悲願の金メダル獲得へ、稲葉篤紀監督(48)が交差する熱い思いをインタビューで言葉に換えた。【取材・構成=広重竜太郎】

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6月16日は大きな節目だった、はずだった。五輪代表メンバーの内定発表会見。「東京五輪本番で勝つために選んだ。最適な組み合わせだと思っている」。最適解は再回答を余儀なくされる。会沢、中川が故障で辞退。さらに菅野がコンディション不良で続いた。特に菅野は目に見える故障ではなく、投げられる状態にはあった。だが誰の目にも別人のような投球であることは明らか。2人の会話に苦渋の決断が垣間見える。

「電話をして状態の確認など話をしたが、やっぱり悔しがっていた。『すみません。応援しているので頑張ってください』と…。でも状態が悪いのは本人が一番悔しいと思う。ああいう選手は前半、調子が悪くても徐々に上げてきて夏場から良くなることもある」

常時の力は信じている。菅野が18年11月にへんとう炎の手術を受け、日米野球を辞退したのも来るべき五輪に備えての処置だったことも知っている。だが復調にはあまりに時間がなく、確信的な道筋もなかった。

「力ある投手を選びたいし、国際大会経験もある。そういう意味で彼を選んだけど、逆に苦しめてしまったなと。1度目に抹消になった時に多分、五輪があるから(復帰を)早めてくれて、合わせてくれようとしていた。本人にも『焦らせてしまったかな。ごめんな』と伝えたが、申し訳なかったとすごく思う」

もちろん断腸の思いを抱かせたのは菅野だけではない。就任4年間で計90選手(辞退者を除く)を侍ジャパンの旗印の下に呼んだ。未招集の中にも無数の才能が点在していた。足しげく球場に足を運び、コロナ禍では画面に目を凝らした。迷い、悩み、絞り込んだ24人。狭き門に入れなかった選手にも代表発表後の視察で顔を合わせる。複雑な胸中を救ってくれたのは元気に駆け寄ってきた熱男だった。

「プレミア12やこれまで(代表の)ユニホームを着て、あいさつしてくれる選手もいるが、今回メンバーに入らなかったことで来てくれないんじゃないかと。(悔しさから)もちろん来てくれないのも当たり前だし、そこには別に何も思わない。でもマッチ(ソフトバンク松田)の『頑張ってきてください!』という言葉はうれしかった」

選ばれし者、選ばれざる者の魂を感じ、思いを背負う。2年前に希望して女子バレー中田久美監督と対談した。「星野(仙一)さんのような雰囲気を感じる」と形容した指揮官はメンバー発表時に涙した。

「自分も会見の時にグッと来るところがあったが、ここで泣いちゃいかんなとこらえた。でもすごく分かる。これまで携わってくれた選手や関係者、そういう人たちとここまでやってこれて支えてもらった。選手もいろんな強化試合も含めて大変な時期にユニホームを着てもらった。いろんな選手の顔も浮かんだし、そういう方たちのことを考えたらグッと来る」

支えてもらった中に恩師もいる。6月30日に中京高(現中京大中京)で指導を受けた西脇昭次氏が亡くなった。五輪を前に別れが続いている。

「この2、3年で本当に恩師が亡くなっている。高校、シニアの監督、野村監督、星野監督…。大学3年までの山本(泰)監督も(去年8月に)亡くなられた。さみしいですね。西脇先生もすごく五輪を見たいと言っていた。野村監督も息子の克則に話を聞いても『ずっと稲葉さんのことを気に掛けていたよ』と言ってくれた。いい報告ができればと思う。見守ってくれていると思うので、思い切ってやりたい」

19日の代表合宿を起点に集大成の戦いが始まる。

「まずはコロナの影響で最善を尽くしてくれている医療従事者や生活を支えてくださるソーシャルワーカーの皆様であったり、敬意と感謝をしっかりと持っていこうと選手に伝えていく。その中で野球をやらせて頂ける喜び、応援して頂けるありがたさを感じないといけない。1戦1戦全力を尽くし、少しでも見ている方たちが何かを感じて、何かを届けられたら。感じ方はそれぞれ違う。よく勇気や感動をと言うが、野球を見てどう感じるか。我々は挑戦者なのでチャレンジ精神を忘れずに立ち向かっていく姿を見せたい」

8月7日。決勝。横浜の夜空に舞う姿に、人々は何を思う。