鉄腕エース上野由岐子投手(37=ビックカメラ高崎)の快投が、日本に勢いを付ける。東京五輪で復活するソフトボールは、開会式2日前の7月22日に福島・あづま球場で始まる。日本選手団の先陣を切って五輪の戦いに臨む上野はこの日が38歳の誕生日で先発が濃厚だ。08年北京五輪以来13年越しの連覇に向け、集大成のマウンドに立つ思いや自身の競技人生について大いに語った。【取材・構成=松熊洋介】

◇ ◇ ◇

勝負の1年が始まった。

上野 カレンダーを見ると「いよいよ来たな」という感じがする。投げる意識はあるし、準備している。(宇津木麗華)監督からは言われてないが、誕生日じゃなくても投げるだろうなと。

東京五輪初戦の初球はストレートを投げるのかと聞くと、表情が一変した。

上野 初球のこだわりとかない。自分がどういう投球をしたいかなんて当日にならないと分からないし、宣言して打たれたら意味がない。調子や打順もある。その場に応じて考えるので考えたこともない。(捕手の)我妻が出したサインを投げるだけ。

昨年4月の日本リーグ・デンソー戦で打球を左あごに受けて骨折、約4カ月離脱した。初めてリーグの規定投球回数に届かなかった。

上野 こんなに投げなかった年は初めて。いい意味でフラットに考えさせてもらえたケガだった。

11月のリーグ最終戦で1日2試合271球を投げて勝利に貢献したが、疲労もたまり、その後の日本代表合宿を辞退した。

上野 予想以上に疲労はあったけど、自分のペースで治せばいいと思った。無理する必要はない。実際、試合になったら痛くても投げないといけない。別に1、2カ月投げなくても投球を忘れるような年齢じゃない。合宿に参加していないからといって遊んでいるわけではないし、やるべきことはやっている。

11年に宇津木監督が指揮官となってから二人三脚で歩んできた。

上野 (宇津木監督が)選手時代はアドバイスはしてくれていても細かく話す機会はなかった。エースと監督という立場になって「いろんなことを考えてくれているんだな」と思うことが多くなって見方も変わった。自分のことを分かってくれている。そんな監督についていくだけ。

26歳で迎えた北京での金メダル獲得から12年。38歳で迎える東京五輪は集大成。独特な表現で心境を吐露した。

上野 五輪の話をしながら「ソフトボーラーとして完結しているな」と。追っているものとか高めていくものがないから、自分の話じゃないみたいな感覚で感動しちゃうことがある。その時にソフトボール上野由岐子は北京で完結していて、今は惰性というか違う形でソフトボールを楽しんでいる自分がいる。結果を出すためにやっているが、あの時のような情熱はない。自分にウソをつきたくないので、自分の感情も大事にして向き合っていきたい。

今も日本代表不動のエース。投球に衰えは見られないが、選手生活も終盤にさしかかっていることは間違いない。

上野 今すぐにでも辞められる。でも必要とされていることを感じているので、まだ辞めなくてもいいんだなと。(五輪が)終わってみないと分からないが「もういい」と言われたら辞めると思う。意外と情がないんです。

いよいよ自身の投球で東京五輪がスタートする。

上野 1番最初ということで注目してもらえるのはいいかな。これで終わりではないが、20年間培ってきたものを込めて投げたい。どんなボールでも後悔しないように。結果は神様が決めてくれる。

試合では厳しい表情でプレーする上野だが、普段はチーム所在地の群馬県内で1人暮らしをするごく普通の女性だ。インタビューした上野の言葉の中にそんな一面がのぞいた。

「辞めたらスカイダイビングをやりたい」

18歳の時の合宿で空から次々と降りてくる人を見て、いつかやりたいという思いを持っている。

「実は書道8段なんですよ。小学校レベルですけど」

正月の紙面用ということで、書き初めをお願いした。小1から始めたが、母親に「8段取るまでやめさせない」と言われ、早くやめたくて努力した。25年ぶりに筆をとり「どうですか。すごくないですか」と出来栄えに納得の表情だった。

「国際結婚したい」 

理想のタイプは「わかんない」と照れながらも「中身重視。(自分を)アスリートとして見るのではなく、特別視しない人」。日本人だと金メダリストとして見られるため、外国人との結婚願望があるようだ。

◆上野由岐子(うえの・ゆきこ) 1982年(昭57)7月22日、福岡市生まれ。小3でソフトボールを始める。柏原中、九州女高(現福岡大若葉高)を経て01年にルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)に入社。04年アテネ五輪では完全試合を達成するなど銅メダル。08年北京五輪では金メダルを獲得。世界選手権では12、14年で金メダル、06、10、16、18年で銀メダル。174センチ、72キロ。