東京五輪で正式種目として初の金メダルを獲得した侍ジャパン。今大会の戦いや、稲葉篤紀監督(49)の4年間の道のりを「侍の轍(わだち)」と題した連載で振り返る。第1回は04年アテネ五輪、08年北京五輪の2大会で日本代表のキャプテンを務めた元ヤクルト宮本慎也氏(50=日刊スポーツ評論家)が総括した。

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長かったような短かったような五輪期間でした。侍ジャパンがやる全試合でテレビとラジオの解説が入っていたため、すべての試合を観戦させていただいた。正直、プロの解説としてどうだったのか、自分では分かりません。ただ、普段の解説とは違っていたように思う。どうしても「勝ってほしい」という思いが強かったからだと思う。そしてみんなの願い通りに金メダルを獲得。まずは侍ジャパンのすべてのメンバーに「おめでとう! そして、ありがとう」という気持ちを伝えたい。

勝てる条件は、すべてそろっていた。自国開催であり、プロのベストメンバーで戦えたのは日本だけだった。不安な点として挙げるなら「国際大会は何が起こるか分からない」という点だけ。実際にアテネと北京五輪を戦った経験上、五輪にはえたいの知れない重圧がかかるもの。実際、5戦全勝とはいえ、冷静に戦えない部分があった。普段の解説と違ってしまったのも、その間違った部分を指摘してムードを壊したくないという思いが強くあったからだった。

五輪期間中、村上とLINEのやりとりをした。中学のシニア野球が全国大会をやっている期間で、村上が出身の熊本東シニアと私がコーチを務める東練馬シニアが3回戦で対戦することになったからだ。なんてことない短いやりとりだったが、最後に「五輪、頑張れよ」と伝えると、村上から「ぼくはまだまだです」という返信が届いた。おそらく同じチームで戦い、練習していく中で他の侍ジャパンの打者と自分の実力を比べての感想だったのだろう。

頼もしく感じた。侍ジャパンでは「8番打者」だった。それでも決勝戦でも値千金の先制ソロを放つなど、今大会の村上のプレーは“陰のMVP”に値すると思う。「8番打者」としていじけていたら、こんな活躍はできないし、こぢんまりと当てに行くようなスイングをしているわけでもなかった。実際、そんな気持ちでいたら、こんな活躍はできなかったと思う。もうひとつすごいのは「勘違い」したり、自分自身に「満足」していないところ。きっと村上は侍ジャパンの主砲を打つようになっても満足するような選手にはならないだろう。

村上がプロ入り2年目、コーチという立場で厳しく接するように心掛けていた。裏方さんへの配慮を欠いたり、身なりに関しても口を酸っぱくして注意した。あるとき「なんでぼくにだけ言うんですか」と反抗的な口調で言い返してきたことがあった。「よし、みんなと一緒でいいんだな。それでいいならそうする」と突き放した。時にはメソメソするような時もあったが、心身共に成長しているんだなぁ、と心から感服させられた。

五輪で強豪だったキューバは、選手がメジャーに流出しているせいもあって、予選で敗退した。韓国も同じような傾向があるのか、ひところの強さは感じない。しかし日本はメジャーに流出しても、村上のようにそれを補うような選手が出てくる。そういう意味でも、五輪の金メダル獲得は底辺を支えるためのアピールになった。日本野球に憧れを持ってくれる子どもたちのためにも、有意義な大会になったと思う。(日刊スポーツ評論家)