引退か現役続行で東京五輪を目指すのか-。バスケットボール女子日本代表候補でJX-ENEOSを退団した吉田亜沙美(32)が、決断に悩む気持ちを明かした。

昨年3月に1度は引退を決断するも同9月に復帰。11月には2年ぶりに代表に選出され、調子を上げてきていたが、五輪延期で迷いが生じた。普段周りにあまり自分のことを語らないという吉田が悩み続ける胸の内を赤裸々に語った。

高校時代から日本代表に選出され、長く女子バスケット界を引っ張ってきたレジェンドが約2カ月間、トレーニングもせずに悩み続けている。きっかけとなったのは東京五輪延期だった。先月末には所属のJX-ENEOSの退団が発表された。

吉田 中止を聞いて、気持ちが切れてしまった。1年ちょっと先、もしかしたらもっと延びるかもしれない状況。自分にとっては長い期間。今も何の答えも出ていない。

32歳は女子バスケ界ではベテランの域。精神的にも肉体的にも不安を感じた。

吉田 パフォーマンスも1年たてば落ちるし、ケガのリスクもある。ベテランになってからの延期は正直厳しかった。

昨年1度は引退し、協会アンバサダーとして活動していたが、五輪1年前になり、いろんなニュースを目にする中で復帰を決断。昨秋からのリーグでも徐々にプレー時間を延ばし、復調傾向にあった。

吉田 半年休んでいたので時間がかかった。最初は付いていくのに必死だったが、少しずつ筋力やゲーム勘を取り戻してきていた。

相談すれば多くの人から「頑張ってほしい」と言われることも多いと考え、同じバスケット選手だった姉の沙織さんら自分と真剣に向き合ってくれる人に相談。それでもなかなか決断には至らなかった。

吉田 本当にちゃんとフェアに見てくれる人、自分の気持ちをくみ取ってくれる人に相談した。

1度目の引退時は、シーズン前から決めていたこともあり、すぐに決断したが、もともとは迷うタイプ。焦りはないのか。

吉田 最初は一日中考えていた。それでもたどり着けなかった。それからはあまり意識してないけど、時間もないので、立ち止まるわけにはいかない。

20代半ばで後輩を教えた時に指導者へのあこがれを抱いた。アンバサダーとして、さまざまな現場に出向いて学んだ。引退後の人生は指導者と決めている。

吉田 自分にはバスケットしかない。大好きだし、メジャーにしていきたい。それに向けて手伝えることがあれば率先してやっていきたい。どこでも修業して勉強してやっていきたい。

次の人生を考えるにあたって、後輩たちにもメッセージを送った。

吉田 必ず引退という道は通るし、バスケットの人生よりもその先の人生の方が長い。女子は特に指導者になるのか、全く違う人生になるのか、それぞれあると思うが、今までバスケットしかしてきてない選手たちが社会に出ていくのは覚悟がいると思う。

女子バスケット界には欠かせない存在であることは間違いない。年齢や体力と向き合いながら考える。

吉田 1度は決断してやろうと思ったりとか、やっぱり現実的じゃないと思って引退しようかと思ったり。今はその繰り返し。本当にどっちに転ぶか分からない。どこまで待ってもらえるのかというのもあるので、時間がないとなったらあきらめて次の道に進むしかない。どっちの選択でも後悔しないように。

覚悟を持った吉田の決断は自身にとっても、女子バスケット界にとっても大きな分岐点となる。【松熊洋介】

◆吉田亜沙美(よしだ・あさみ)1987年(昭62)10月9日、東京都生まれ。東京成徳高3年時には主将でインターハイ、国体で優勝。高校生で唯一、日本代表にも選出。06年、JOMO(現JX-ENEOS)に入団。13年アジア選手権で金メダルを獲得。16年リオ五輪では主将を務め、20年ぶり8強に貢献。19年3月に引退表明も、同9月に復帰。ニックネームはリュウ。166センチ、A型。