新型コロナウイルスの影響で国際大会がストップしていた東京オリンピック(五輪)の全33競技の中で、馬術が最も早く国際大会を再開することが7日、日刊スポーツの調べで分かった。

ドイツで6月10日に開幕する国際馬術連盟(FEI)主催の総合馬術大会に、五輪代表候補で日本勢89年ぶりメダルの期待が懸かる大岩義明(43=nittoh)が出場する。来夏に延期した五輪に向け、スポーツ界が大きな1歩を踏み出す。

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21年夏に延期した東京五輪の具体的な計画はまだ見えてこない状況だが、アスリートは徐々に再開ののろしを上げつつある。総合馬術の大岩は五輪を目指す日本選手として、その第1号となりそうだ。

馬術もほとんどのメジャー大会が中止となる中、FEI公認の国際大会が10~14日にドイツ・ヴェスターシュテーデで行われる。

3月、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けて自粛生活が始まり、馬術は試合の中止が痛手となった。馬の習慣が変わり、休養と競技を繰り返す普段のリズムがつくれず、調教に苦労した。「目標が設定できず、馬のメンタルを保つのが難しい」。

長男陵宗(たかむね)くん(2)の保育園も休園。16年リオデジャネイロ五輪の障害飛越に出場し、ともに東京五輪を目指す妻武田(登録名は旧姓)麗子と交互に息子の面倒を見ながら、練習をしてきた。午前中は大岩が子守し、武田が馬に乗る。午後はその逆。武田は車で帰宅し、家の掃除や食事の支度などをする。

本当に東京五輪はやって来るのか。試合はいつ再開するのか。一抹の不安を抱えながらも、夫婦で日々の生活をこなしながら地道に馬に乗り続けた。

大岩は大学王者に輝くも明大卒業後は、自分を押し殺し、ビルメンテナンス会社に就職。「新人だから大変な部署に配属された」とゴキブリ駆除の現場作業員を担当した。レストランや社員食堂に出向き、深夜から朝方にかけて薬剤を散布した。

入社から1年余り、自分をごまかしきれない瞬間が訪れた。00年シドニー五輪の開会式。心に衝撃が走った。「自分の生きる場所はここだ。4年ごとに、この思いをするのは嫌だ」。会社を辞めて単身渡英した。

08年北京五輪で夢をつかみ3大会連続出場。20年東京は長い旅路の終着駅にしようと決めていた。その矢先、感染症の拡大でまさかの延期に。サラリーマン時代もそうだったが、目標が見えにくい日々はつらい。

新型コロナ禍で五輪の中止を求める声が、ウェブニュースのコメント欄にあふれている。完全な形、2年後なら中止、簡素化…。五輪初の延期だけに、いろいろな声は聞こえてくる。

それでも、五輪は選手にとって何物にも代え難い。「最大のゴール。自分自身を褒めることがあるとしたら、ここで結果を出した時ぐらいでしょう」。開催を信じて、純粋に突き進む。誰に何を言われようと、それがアスリートの自然な姿だ。【三須一紀】

◆大岩義明◆おおいわ・よしあき。1976年(昭51)7月19日、愛知県生まれ。明大卒。08年北京大会で五輪初出場。12年ロンドン五輪では総合馬術1種目目の馬場で1位通過するも、続くクロスカントリーで落馬し、失権。16年リオ五輪も出場。18年アジア大会で個人、団体の2冠。同年の世界選手権では団体4位。17年結婚

○…政府が19日から全国の移動を容認する方針を示していることから、6月中に代表活動を再開させる各国内競技団体(NF)が8団体あった。7月以降や夏以降とするNFも3団体と、徐々にトップ選手の活動が活発化する見通しだ。

しかし、大会開催にはハードルが上がる。野球、ゴルフ、サッカーのプロスポーツは6月中と再開が早めだが、それ以外は秋以降の再開が目立つ。

国内大会よりさらに開催が難しいのが、国際大会。各国際競技連盟(IF)が頭を悩ませているのが渡航制限だ。世界選手権レベルの大会を開催するためには、渡航制限が全面的に解除されていることが条件。渡航制限があると入国できても2週間の隔離が必要になる場合もある。ただし、スポーツを含む経済活動の再開に積極的なドイツはオーストリアとともに6月15日を過ぎればEU内の移動を自由にするとしている。

○…パラ競技の各団体は、日本パラリンピック委員会(JPC)の要請で代表合宿や大会開催のためには、独自のガイドラインを作成し、日本障がい者スポーツ協会(JPSA)医学委員会の審査を受けなければならない。ガイドライン提出は5日をめどにしており、夏冬34の競技団体の活動再開は審査をパスしてからになる。国際大会は五輪競技が優先される事情もあり、各競技ともほとんどが未定。国内大会は5月から9月に延期されたパラ陸上日本選手権(熊谷)が最初の全国レベルの大会になりそうだ。