山田優(27=自衛隊)見延和靖(34=ネクサス)加納虹輝(23=JAL)とリザーブから昇格した宇山賢(29=三菱電機)の4人が、日本フェンシング界の悲願だった初の金メダルを獲得した。

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世界ランク4位の山田をはじめ、今のエペ陣なら団体で金メダルを取れる可能性があると思っていたが、見事に3人がゾーンに入った。体格的に勝てないと言われてきた歴史を考えると「日本のエペが勝てる日がくるなんて」との思いだ。

世界ではエペ人口が最も多く、本場欧州ではフルーレの2倍超と言われる。エペは全身を突けるので長身の方がリーチが長く有利。一方の日本は何とか世界で勝つためフルーレに力を入れてきた。胴体が有効面で体格差の影響がまだ少ないからだ。インターハイの団体戦は今もフルーレしかない。だから日本は必然的にフルーレ人口が多かった。

私が監督を務めた08年北京五輪の前もフルーレの成功に集中し、500日合宿を実施。太田が個人で初の銀メダルを取った。そこをフックに、エペ界で世界的に有名なゴルバチュク・コーチ(愛称サーシャ)らを招き強化してきた。ナショナルトレーニングセンター(NTC)も世界屈指だ。

その中で伸びた見延が世界ランク年間1位になったり。宇山もW杯で銀メダルを獲得。山田をフルーレからエペに転向させたのはサーシャで、加納はジュニア時代に私が監督していたが後にW杯で勝った。(早大2年時から)団体戦のアンカーを任され、経験を積んできたことも大きい。173センチで195センチのビダに勝った最終Pはフットワークと心の強さが生きた。(88年ソウル五輪男子フルーレ代表、北京五輪代表監督)