日本のエース村上茉愛(24=日体ク)が日本女子初となる個人種目でのメダルを獲得した。8人が出場した決勝で14・166点をマークして3位タイとなり、銅メダルに輝いた。17年世界選手権の床運動で日本人63年ぶりの金メダル、18年には個人総合で史上初の銀メダルと道を切り開き、母国で金字塔を打ち立てた。

重圧に打ち勝った。「緊張してきて怖かったけど、周りの人も強いし、周りも自分のことを強いと思ってくれている。その中であと1分半頑張れば終わりだと思えば、つらいとかなかった」。

日本女子では初めての個人種目でのメダリストとなった。表彰台からの景色については「初めて世界選手権で金メダルを取ったときも新鮮でこんなにうれしいものなのかと思ったけど、オリンピックと世界選手権は違うなと。これこそがオリンピックのメダリストって言ってもらえるものなので、もうちょっと味わいたかったなと思います」と笑った。

集大成の年と決めた21年。床運動の曲を変えた。「大人っぽい床の演技ができることを目指している。楽しそうにやっているというのを見てもらえればな。集大成を床に詰め込んだという思いです」。しっかりと演じ抜いた。

24歳、引退する仲間を見てきた。「一番は同期がいなくなり、相談する相手なり、自分の気持ちを吐き出す部分がなくなってしまった。みんなが退寮していったあとが一番苦しかったな」と振り返る。続けることのつらさも受け止め、最後に見せたい演技があった。

1年延期でも心は揺れた。4月に日体大の寮が閉鎖され、6月まで実家にいた。器具に触れない、五輪は開かれるかわからない。「このまま体操から離れちゃうのかな」という不安もわいた。そんなとき、体操を始めるきっかけを作った母英子さんに言われた。「試合できてないのはあなただけではないんだよ」。

娘を体操教室に通わせるために美容師の資格を取った母。高校生も中学生も試合はない。スポーツ選手以外も等しく、コロナ禍の影響を受けている。美容室も実質は休業状態で、不安もあった。だから特別視をしてほしくなかった。「いまできることをやるしかない」と伝えた。近所の公園で鉄棒をしたり、時には母とダンスした。しばらくしたあと「2年延期だってやるよ」と前向きないつもの姿が戻っていた。

この日、生き生きと踊る姿があった。続けていたからこそ、その楽しさを感じられた。