“令和の巌流島決戦”と称された東京オリンピック(五輪)柔道男子66キロ級代表決定戦から13日で1カ月となる。代表に決まった17、18年世界王者の阿部一二三(23=パーク24)がインタビューに応じ、21年の抱負を語った。新型コロナウイルス感染拡大のため首都圏に緊急事態宣言が発令されたが、五輪開催を信じて「柔道人生で一番輝ける1年にする」と決意を示した。19年世界王者の丸山城志郎(27=ミキハウス)との代表決定戦では、勝負に対する3つの心得を学んだ。【取材・構成=峯岸佑樹】

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阿部は1年ぶりに原点とする地元神戸に帰省して、新年を迎えた。東京五輪女子52キロ級代表で妹の詩(20=日体大)ら家族と実家近くの神社へ初詣に行った。コロナ禍の収束を願い、約6カ月後に迫る初の夢舞台へ決意を新たにした。

阿部 勝負の年が始まった。東京五輪が開催されることを信じて、兄妹で絶対に優勝する。目標をかなえて、柔道人生で一番輝ける1年にしたい。

新旧世界王者で対決した代表決定戦から1カ月が過ぎた。24分間にも及ぶ歴史的死闘は、柔道界だけでなく多くの人々の感動を呼んだ。阿部は試合後、初めて男泣きした。

阿部 これまでにない重圧を全て受け止めて、人生を懸けて戦った。サポートしてくれた人たちの顔を見た瞬間、涙をこらえ切れなかった。ここまで険しい道のりになるとは想像もしなかったが、この試練を五輪前に経験できたことは大きな成長につながる。

日本柔道初のワンマッチを経験し、3つの心得を学んだ。勝負する上で(1)強い気持ち(2)駆け引き(3)弱さと向き合うことが重要であると気づいた。手の内を知られた過去3勝4敗のライバルに打ち勝つためにも、その3点を特に意識した。

阿部 (1)は『自分が勝つ』と何度も言い聞かせ、隙を見せないために1秒も気持ちを切らさなかった。ゾーンなのか分からないが、丸山選手の目、表情、手など全体の動きを冷静に見られた。(2)は劣勢で我慢の時間もあったが、そこを耐えることで好機が生まれると分かった。(3)はこの2年間は苦しい時期が続いたが『負けを無駄にするな』と思って敗因を分析し、自分の柔道と真剣に向き合った。全て準備につながり、それが強さに変わると感じた。

代表決定戦が決まってからは、毎日丸山のことだけを考えた。一方、集中力を高めるために自分たちの報道や情報を極力見ないようにした。4歳年上の先輩には感謝の気持ちを伝える。

阿部 丸山選手に負けた時も五輪代表落選とは1度も思わなかったし、日本武道館で金メダルを獲得するイメージもしていた。間違いなく、丸山選手のおかげでここまで強くなれた。勝ち続けて五輪へ行くよりも今の方が絶対に強い。

12月13日の世紀の大一番は、自身の名前が入った「一二三の日」だった。偶然が重なって、試合時間は所属のパーク24の数字が入った異例の24分間。そして、五輪イヤーの21年にも再び、一二三の名前が入る。

阿部 7月に頂点に立つために、父が付けた名前の由来のように1歩ずつ着実に前進したい。丸山選手の思いも背負い、再び「運命」と感じられるように、1日1日を大切に自分の柔道に磨きをかけたい。

23歳の柔道家の夢への挑戦が始まる。

◆阿部一二三(あべ・ひふみ)1997年(平9)8月9日、兵庫県生まれ。6歳で柔道を始める。兵庫・神港学園高2年の時、17歳2カ月の史上最年少で14年講道館杯を制覇。17、18年世界選手権優勝。19年世界選手権3位。世界ランク3位。右組み。得意技は背負い投げ。尊敬する人は野村忠宏。好きな食べ物は焼き肉。家族は両親、兄、妹。168センチ。血液型AB。