原沢の弟の俳優原沢侑高(ゆたか、24)が、兄への思いを手紙につづった。

「兄貴試合お疲れ様。リオ五輪が終わってから5年間、山あり谷ありで辛い時期もあったはずだと思う。一切の弱音や泣き言もはかず、真摯(しんし)に柔道と向き合い、退路を断ち東京五輪を目指す覚悟を決めた。一人の男として格好良く尊敬しました。自分の人生でうまくいかず落ち込んでしまった時、兄貴の存在は追い風となり前に進もうという勇気を与えてくれます。感謝しています。ありがとう」

けんかばかりの兄弟だった。「そんなに力が余っているのであれば畳でぶつけろ!」。殴り合いが日常茶飯事。その光景を見かねた母敏江さんが2人に柔道を勧めた。自宅から徒歩15分の大西道場まで肩を並べて通った。「楽しかった」。兄が小学校を卒業後、侑高は1人で道場へ行くのがつまらなくなった。小3で辞めた。その後はソフトボール、中学では野球部に入部した。「物足りなかった」。全国大会で活躍する兄に刺激を受け、高校では柔道に再挑戦。階級は90キロ級。県大会4強の実績もあった。

「俺もやればできる。夢の俳優としての才能を開花させる前に、柔道でも一発開花させておくか」

そんな気持ちで再び始めたが弱かった-。ギョーザ耳になるのを恐れて寝技から逃げた。

結局、部活後の焼き肉店でのバイトに明け暮れた。3年間で100万円を貯金した。「東京へ行く」。上京を猛反対していた母に現金を見せて説得。しかし、二言目には「(物件探しの)保証人には絶対になりません」。頭を抱えて兄に「保証人になってくれ」と懇願すると、「全然いいよ」とまさかの快諾だった。数年後、“真実”を知った。

「母ちゃんが兄貴に『俳優なんて無謀だから止めてくれ』とお願いしたら、兄貴が『やらせた方がいい。俺もできる限りのことはやる』と言ってくれていた。俳優になれたのは兄貴の後押しがあったから」

芸能界の厳しい荒波にもまれる中、初給料で「兄」と刺しゅうしたハンカチを贈った。「ださくね?」。使っているのは一度も見ていないが、感謝の気持ちを精いっぱい伝えた。

「兄弟助け合うように」。携帯電話の待ち受け画面に2人との3ショットを設定する母から、今もこの言葉を言われる。メダルを取っても、取らなくても関係ない。侑高は手紙の最後をこう締めた。

「また銭湯行って飯でも食おう!」

兄への思いは変わらない。【峯岸佑樹】