安倍晋三前首相(66)が19日、日刊スポーツの単独インタビューに応じた。新型コロナウイルスの影響で東京五輪・パラリンピックの1年延期を決断した背景として、対国際オリンピック委員会(IOC)や対選手を考慮し、「中止だけは避けなければならない中で1年が限度だった」と述べた。首相退任により10月から約8年ぶりに復帰した全日本アーチェリー連盟会長としての熱い思いも語った。【聞き手=平山連、三須一紀、近藤由美子】※全3回、近日中に中と下も掲載予定です。

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-首相を退任し10月、大会組織委員会の名誉最高顧問に就任した

安倍氏 森(喜朗)会長のお心配り。私も大会成功に向けて協力していきたい。

-首相として五輪パラを迎えたかった

安倍氏 各国首脳に対しコロナ禍に打ち勝った証しとして五輪を成功させたいと申し上げていた。その責務を果たしたかった心残りはある。

-3月24日、五輪史上初の延期が決まった。決断した経緯は

安倍氏 IOCバッハ会長に私から申し出た。それまで森会長ともさまざまな相談をした。コロナが世界にまん延していく中で準備している選手、関係者のために早い段階で判断しなければならなかった。もう1つは中止だけは避けたかったため、早い段階で延期を申し出、IOCや国際社会の了解を得るべきだと思った。

-米トランプ大統領との電話首脳会談(同13日)はきっかけとなったか

安倍氏 その会談で延期について了解を得た。今年の開催は厳しい状況だが中止すべきではないとし、1年延期でコロナを克服した大会にしたいと話した。良いアイデアだと賛成してくれた。

-森会長から2年延期という選択肢もあると伝えられても、1年延期を決断した理由は

安倍氏 2年で果たしてIOCが受け入れるかという問題があった。もう1つ選手が20年大会を目指す中、1年でも大変なのに2年になったら『別の大会だ』となる。22年は北京冬季五輪があり(24年の)パリ五輪も近すぎる。五輪は4年に1度という特別な意味がある。だから1年が限度だった。

-1年延期案はトランプ会談のだいぶ前から腹案としてあった

安倍氏 そうですね。

-1年ではコロナ終息に至るか分からない不安は

安倍氏 当然ある。検査体制を整備し国際的な協力でワクチンが完成できれば。

-日本では「開催できる」ムードになりつつある一方で、海外では感染再拡大が起きている。参加国が減ってもやむを得ないか

安倍氏 なるべく多くの国が参加できるよう国際社会が協力すべきだ。私が総理の時に日本は(国際機関が特許権を管理・保護し途上国にもワクチンを行き渡りやすくする)特許権プールをつくるべきだと言ったが、予算の厳しい国のために世界がお金を出し合ってワクチンを供給していく。五輪でも困難な国に、検査を含めて支援を行っていくべきだ。

-選手より難しい観客の入国問題がある。日本人観客だけでも開催すべきか

安倍氏 来年7、8月の開催なので今から決め打ちすべきではない。今年の暮れから来年初めには、ワクチンが出て来ると思う。

-東京大会で期待する菅首相のリーダーシップは

安倍氏 東京パラは64年以来2度目。障がいがある方にとって障がいを感じることのない街だと示す大会でもある。日本がバリアフリーを徹底するという意味でも、指導力を発揮してもらいたい。(つづく)

 

◆安倍晋三(あべ・しんぞう)1954年(昭29)9月21日、東京都生まれ。成蹊大法学部政治学科卒業。38歳で衆議院議員初当選。03年に自民党幹事長となり、05年第3次小泉改造内閣で内閣官房長官として初入閣。06年9月に戦後最年少の52歳で第90代首相になったが、翌年に辞任。12年12月に再就任し、任期途中の今年9月末に辞任。第2次政権発足後からの連続在任期間は2822日となり、佐藤栄作元首相(2798日)を抜き歴代1位。第1次政権を含めた通算在任日数も3188日で憲政史上最長。