近代五輪が始まったのは1896年(明29)、夏季大会は戦争で中止になった大会も回数に加えるため、今回の東京大会が32回目の開催になる。日本の参加は1912年(大元)第6回ストックホルム大会から。1世紀以上の五輪史の中では、数々のドラマが生まれた。今も語り継がれる五輪の名勝負を紹介しよう。

金メダルを手にした名勝負は、体操、柔道、競泳、レスリングなど日本の得意競技に多い。ケガをおして頂点に立ったり、予想を裏切って大逆転したり、背景のドラマも含めて「名勝負」として語り継がれる。

柔道の名勝負といえば、1984年ロサンゼルス大会無差別の山下泰裕。試合中に右足を負傷しながら、痛みに耐えて金メダル。本命視された80年モスクワ大会が参加辞退となったことや、決勝の相手ラシュワン(エジプト)が右足を狙わなかった(後に2人とも否定)ことなどが評価され、国民栄誉賞にも輝いた。

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92年バルセロナ大会男子71キロ級の古賀稔彦は大会直前に左ひざを負傷。まったく練習できない状態で減量に耐え、満足に歩けない体で金メダルを獲得した。抜群の技のキレと不屈の闘志で「平成の三四郎」と呼ばれたが、楽しみにした東京五輪を待てずに開幕4カ月前に他界した。

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体操で記憶に新しいのは2016年リオデジャネイロ大会男子個人総合での、内村航平の大逆転。5種目を終えてトップのベルニャエフ(ウクライナ)との差は0・901。しかし、内村が最後の鉄棒で完璧な演技をし、ライバルがミスをしてギリギリ逆転。2連覇は「奇跡」とも言われた。

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1976年モントリオール大会男子団体も名勝負だった。当時は6人が演技して上位5人の成績合計で順位を争ったが、日本は3種目目を終えて藤本俊が負傷離脱。誰もミスができないぎりぎりの状況でソ連を下し、5連覇を達成した。

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レスリングでは前回16年リオデジャネイロ大会女子53キロ級の吉田沙保里。前日に全3階級を制した日本だったが、五輪4連覇を目指した吉田は決勝でマルーリス(米国)に惜敗。「霊長類最強女子」が敗れた驚きとともに、日本選手団主将だった吉田が「銀メダルに終わって申し訳ない」と流した涙が印象的だった。

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五輪では本大会ももちろん、代表の座を争う予選でも名勝負は多い。今大会では柔道男子66キロ級の代表争いが注目された。阿部一二三と丸山城志郎という世界王者同士の決戦は史上初の「ワンマッチ」となり、阿部が死闘を制して代表の座をつかんだ。本番前から五輪の戦いは熱い。【荻島弘一】

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