会場の道沿いには、小学生が育てたアサガオが置かれていた。選手への応援メッセージも添えられている。「復興五輪」と掲げられた大会は、何を被災地にもたらせるのか? 開会式に先だって始まったソフトボールの取材で、福島へ出向いたが、その答えは正直、見つけられなかった。

プロ野球のオールスターも、サッカー、バスケットボールの代表強化試合も、陸上の日本選手権も。制限はある中で、スタンドには人の拍手と声援があった。五輪はどうか。福島も含め、ほとんどの会場が無観客。開幕直前まで続いた準備・運営のドタバタも重なり、世間は「五輪だけ特別扱い」の感に満ちているが、我慢のポイントが違っているように思う。首都圏はともかく、地方都市では感染状況が異なっている。

歓声なき大会では地域の経済も潤せない。ならば、せめて未来の復興を担う地元に住む、希望した子供たちだけでも、生で五輪を見てもらい、特別な空気を感じさせてあげられなかったか。宮城は有観客を決断し、茨城は一部学校の児童、生徒が観戦できた。福島の会場で見ることができるのはアサガオでなく、子供の笑顔であって欲しかった。

テレビを通した五輪なら、リオデジャネイロ、パリなど世界の遠い場所で行われている大会だって見ることができる。福島駅周辺で五輪の空気感が一番感じられたのは物々しい警備で、町の盛り上がりは少なかった。招致時には、たくさん耳にした「レガシー」は、いつしかあまり聞かなくなった。復興五輪-。このままでは中身なき、空虚な言葉になってしまうようにも思えた。【上田悠太】