陸上男子走り幅跳び(T64)で8メートル62の世界記録を持つマルクス・レーム(33=ドイツ)が、大会3連覇を果たした。5回目に8メートル18をマーク。8メートル超えはただ1人の圧勝だった。期待された東京五輪の金メダル記録8メートル41には届かなかった。ロンドン大会は7メートル35、リオデジャネイロ大会では8メートル21を跳んで優勝。3度目のパラリンピックの舞台でも、右足義足のジャンパーは好記録を残した。
この右足義足の「プレート・ジャンパー」は遠くへ跳びすぎる。健常者よりも高いパフォーマンスを見せるのだから。レームは今年6月の欧州選手権で自身の記録を塗り替える8メートル62をマーク。それは東京五輪の金メダル記録を21センチも上回っていた。パラスポーツは、身体的ハンディゆえ、レベルは健常者に及ばないという見方を変えた。レームは健常者のトップアスリートの記録を打ち破り、パラスポーツの概念を覆した。
五輪とパラが可能な範囲で共存することを望んでいる。東京五輪参加標準記録(8メートル22)も超え、特例での五輪出場をリオ五輪に続き訴えていた。しかし、国際オリンピック委員会(IOC)に退けられた。順位のつかないオープン参加でもよかった。諦めず、スポーツ仲裁裁判所(CAS)にも提訴したが、思いは実らなかった。
ネックになったのは「義足の優位性」だ。その高すぎるパフォーマンスは「テクニカル(道具)ドーピング」との声を強くし、「公平性」を問う議論を巻き起こした。たしかに、レームは義足を装着する右で踏み切る。世界陸連は踏み切りで有利に働いていないかという科学的な根拠を求めたが、レームは結論を導けなかった。ただ、義足を履けば誰しも8メートルを跳べるわけではない。その事実はアスリートとしての、たゆまぬ努力を裏付ける。
健常者の世界記録は1991年に東京の旧国立競技場でマイク・パウエル(米国)が出した8メートル95。30年破られていない金字塔を、14歳のときにウエークボード中の事故で右脚を切断した「プレート・ジャンパー」が塗り替えれば、夢の詰まったストーリーになる。その現実味も感じさせる。【上田悠太】
◆マルクス・レーム 1988年(昭63)8月22日、ドイツ・バイエルン州生まれ。14歳でウエークボード中の事故で、右ひざ下を切断。スポーツ用義足と出会い、20歳でパラ陸上を始める。14年のドイツ選手権で8メートル24をマークし、健常者も含めた大会で優勝するなど注目を集めてきた。アスリートであり、義肢装具士の仕事もしている。